末吉、レイテに思う(1)
カテゴリー: 護國日誌
2010年10月25日 月曜日

こんにちは、末吉です(⌒▽⌒)

 

昭和19年10月25日

西条市大町御出身

海軍中佐 関 行男命(没後2階級特進当時大尉)の御命日です。

勿論、当社でも御祭神としてお祀りしております。

(写真は終戦60年、楢本神社慰霊祭)

この方は、

日本で初めて公式特攻をおこなった、

敷島隊の隊長でした。。。

ですので、

慰霊碑まわりには、

同時に特攻された敷島隊の方々のお名前が刻んである、

250キロ爆弾の形をした碑があるんです。。。

 

 

 

ただ、関中佐をお話しする前に、、、

大西滝治郎海軍中将をお話しするのが順序でしょう。。。

 

 

大西閣下は、

兵庫県の生まれで、

かの真珠湾攻撃の作案者でもあります。

海戦当時、連合艦隊司令長官であった、山本五十六元帥の右腕としてその智将ぶりを発揮されていました。

 

『特攻の父』『特攻の生みの親』ともいわれる由縁は、

このレイテ沖海戦(昭和19年10月20日)で最初に公式特攻をしたときの、

第一航空艦隊司令長官だったからです

 

昭和19年10月20日午前1時頃、

隊長に、関大尉(当時)が選ばれました。

そして、関大尉の、

『それに相応しい呼称をお願いしたい』

という具申に、

これは、特別な攻撃であり、

戦局に神風が吹くようにとの意をこめ、

『神風特別攻撃隊』

と決定されたそうです。

 

隊名も、、

本居宣長の八州八島を詠った、

『敷島の大和こころを人とはば 朝日ににおう山桜花』

これにちなみ、

『敷島隊』『大和隊』『朝日隊』『山桜隊』

と名付けられました。

 

午前10時、

隊長関大尉を右先頭として、24名の隊員が並び、

大西閣下から訓示を受けました。

全文が次です。

 

『日本は正に危機である。

 しかも、この危機を救い得るものは、

 大臣でも大将でも軍令部総長でもない。

 もちろん自分のような長官でもない。

 それは諸子の如き純真にして気力に満ちた若い人びとのみである。

 従って自分は一億国民に代わり、皆にお願いする。

 どうか、成功を祈る。

 皆は、すでに神である。

 神であるから欲望はないであろう、が、

 もしあるとすれば、それは自分の体当たりが、

 無駄ではなかったか、どうか、それを知りたいことであろう。

 しかし皆は永い眠りに就くのであるから、

 残念ながらしることも出来ないし、知らせることも出来ない。

 だが、自分はこれを見届けて必ず上聞に達するようにするから、

 そこは、安心して行ってくれ・・・しっかり頼む』

 

この訓示のあと、閣下は隊員一人一人と熱い握手を交わしたそうです。。。

 

 

当初、閣下はこの4隊24名のみの特攻隊と考えていました。

しかしその偉功により、特攻は終戦まで続きました。

コメント / トラックバック4件

  1. ブロッケンの妖怪 より:

    今晩は、ブロッケンです。
    「神風特攻隊」・・・ ブロッケンは、この手の文にとっても弱いのです。

    10代の若い少年が片道分の燃料で、目的地へ飛ぶ。

    敵の戦艦から放たれる弾に、射たれ、翼を翻し我が身共々敵艦に堕ちていく。
    その時、彼等は何を思い、何を叫んだのか。 今、ブロッケンの頭の中をぐるぐる駆け巡っています。
    父母の事か、又は、兄弟姉妹の事か、又は、日本万歳、、、、。等々。

    辛いです。
    もう、戦争は、在ってはいけない、そうブロッケンは思います。 今日、ニュースで、12歳の小学生の女の子が自殺をしたと言ってました。 学校でいじめが合ったと。 昔もいじめは有りましたがあの頃は、先生も生徒も、庇ってくれたもんです。 今は、、、、、、、命の重さ、尊さを知りません。 今、子供達に言いたい。

    「人の命は、大切にする。 私達がこうして生きて居るのは、戦争と言う戦いの中で多くの人達が尊き命をかけて、護って来たから、今の私達がある。 命の大切さ、尊さ、重み。」それらを、知ってほしい、ブロッケンはそう思います。

    それにしても、末吉さんは、博学ですね。 沢山沢山勉強してるんですね。

    ブロッケンも、見習って、頑張るぞ〜っ。

    (何をじゃ?)
    ( ̄ー+ ̄)ニヤリ

    ひ・み・つ

  2. もも より:

    いつもご教授有難うございます。
    大西滝治郎海軍中将の訓示の一言一言、胸に響きます。
    先人達が日本國を、天皇陛下を、日本國民を命を懸けてお護り下さった様子が目に浮かびます。
    近隣諸国に配慮して、靖國神社に参拝しない、又、日本の歴史を歪めて先人を貶めるような反日日本人は、断固として粉砕していかなければならないと改めて強く思います。
    今晩遅くなりましたが、参拝させて頂きました。

  3. 末吉 より:

    ブロッケンの妖怪様
     
    こんにちは、いつもコメントありがとうございますm(_ _)m
    ところで、戦争を知らない世代である末吉が言うのもなんですが・・・
     
    まず、10代の方々が特攻出撃されたのは、
    昭和20年に入ってからがほとんどのようです。
    特攻が始まった頃は、本当に優秀な操縦士ばかりで、
    その一人が関中佐でもあるのです。
    また、片道燃料というのも、長距離特攻の場合、予備タンクを搭載し、通常以上の燃料で出撃することもあったそうです。
    ちなみに。。。
    特攻というのは、零戦特攻だけでなく、回天のような人間魚雷、海竜の特殊潜潜水艦、伏竜の水中特攻、震洋のボート特攻など。。。
    一言に特攻といってもいろいろな突撃があるのです。。
    (勉強になりましたか~?)
     
    いずれにしても、全ては我が国日本を護るためだったことは言うまでもありません。
     
    近年、年間自殺者が3万人を越えているらしいですが、
    もっと精一杯、一生懸命自分の命を大切にし、生きていかなきゃいけない。。。
    だって、生きたくても生きることが許されなかった方々に、
    本当に申し訳ないでしょう。。。

  4. 末吉 より:

    もも様
     
    こんにちは。。。
    こちらこそ、いつもお世話になっとりますm(_ _)m
     
    戴いたコメントを、全国の売国奴たちに読ませて、反省させてやりたいですね。
    自己保身的な政治、歴史の歪曲、先人への愚弄・・・
    どれを見ても、売国奴でしかないですよねwww
    こういう輩をイラクやサマーワ、海賊出没地へ派遣して、活動させてやりたいです。。。
     
    大西閣下は、末吉のような無知なものからみても、
    本当に智将であり、それが後々の自分の位置づけまでもを予言しています。そのあたりも含め、何れ書こうと思います。
     
    ご参拝戴いたとの由、
    英霊の顕彰に心から感謝申し上げますm(_ _)m

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