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愛媛縣護國神社御由来

年表

1899年(明治32年)

「私祭招魂社」として創建(元松山東署付近)

1913年(大正2年)

新立町多賀神社に移設

1939年(昭和14年)

内務大臣指定護國神社 社殿竣工遷座愛媛縣護國神社に改称

1945年(昭和20年)

戦災により焼失

1951年(昭和26年)

造営に着手

1951年(昭和27年)

平和条約締結により社号を愛媛縣護國神社に復称

1955年(昭和30年)

現在の社殿が竣工

愛媛縣護國神社御由緒
愛媛縣護國神社は、明治32年「私祭招魂社」として創建(現松山東署付近)され、大正2年新立町多賀神社に移設。その後、昭和14年内務大臣指定護國神社として、その創建が認められ、愛媛県民の総意により現在の社地を選定し、同年10月社殿竣工遷座申し上げました。社号は愛媛縣護國神社に改称、神饌幣帛供進神社、県社に指定されました。昭和20年7月戦災により焼失しましたが、復興奉賛会を創設し県内外の御遺族崇敬者の皆様方からの御浄財及び勤労奉仕により、昭和26年から造営に着手し、昭和30年10月現在の社殿が竣工しました。一時期、神道指令により社号を御幸神社と改称するも昭和27年9月平和条約締結により社号を愛媛縣護國神社に復称し現在に至っています。

御祭神

明治戊辰の役から大東亜戦争に至る迄の幾多の事変戦役に於いて国防の重任に当り、国難に殉じられた愛媛県出身の護国の英霊をはじめ、社会公共の為に尽力し、愛媛県の産業文化に貢献して、永く県民に恩恵を垂れさせられた功労者、並びに消防・警察・自衛隊公務殉職者を奉斎し、県民畏敬の神社として唯今49、727柱の御神霊をご鎮祭申し上げて居ります。

皇室の御祟敬

畏くも昭和天皇香淳皇后は、昭和41年4月18日御親拝幣饌料御奉納賜り、遺族代表5,000名が日の丸を持ち奉迎致しました。今上陛下皇后陛下は、皇太子同妃殿下ご当時の昭和49年7月17日御参拝賜りました。ご遺族多数が奉迎致しました。

皇室の御参拝

昭和41年

天皇皇后両陛下御親拝

昭和15年

朝香宮鳩彦王殿下御参拝

昭和18年

高松宮喜久子妃殿下御参拝

昭和28年

高松宮宣仁親王殿下御参拝『護國』の御揮毫を奉納賜りました

昭和49年

皇太子明仁親王殿下同美智子妃殿下御参拝

昭和50年

常陸宮正仁親王殿下同華子妃殿下御参拝

皇室の御奉納/span>

昭和40年

大東亜戦争終結20周年 幣帛料下賜

昭和50年

大東亜戦争終結30周年 幣帛料下賜

昭和60年

大東亜戦争終結40周年 幣帛料下賜

平成 5年

第13回全国ゆたかな海づくり大会 幣饌料下賜

平成 7年

大東亜戦争終結50周年 幣帛料下賜

平成17年

大東亜戦争終結60周年 幣帛料下賜