末吉、正式参拝に思う
カテゴリー: 護國日誌
2017年6月30日 金曜日 コメントはまだありません »

こんにちは。

人生楽笑(じんせいらくしょう)

末吉(すえきち)ですヾ(@^▽^@)ノ

 

本日は上期最後の日。

午前八時から

夏越祭、

合同御霊祭が執り行われました。

 

午前十時からは

松山市遺族会役員会に伴う正式参拝が執り行われ

四十名の方々にご参列を戴きました。

1

お代表は

愛原章会長様。

鄭重なる玉串のご奉奠を戴きました。

2

その後、

御幸殿に移動し役員会。

 

皆様が日々熱心に活動されておりますこと

英霊もさお喜びのことでしょう。

 

皆様、

本日のご参拝、有難う御座いました。

末吉、慰霊祭に思う
カテゴリー: 護國日誌
2017年6月28日 水曜日 コメントはまだありません »

こんにちは。

人生楽笑(じんせいらくしょう)

末吉(すえきち)ですヾ(@^▽^@)ノ

 

あきら100%という芸人さんが人気だそうですね。

末吉も何度か見たことがありますが

下積み時代から裸一貫で

ようやく確立した芸風は、文字通り『裸芸』

『売れるまでは大変苦しかった』

そう番組で言っていましたが、

努力して売れなければあきらめもつくでしょうけど

努力せずに売れることはありません。

 

先日、

ある友人から

『私論ですので御一読下さい』

とメールがありました。

それを読んでみると

はい、ちんぷんかんぷんw

一応、一通り勉強したはずなのですが、

すっかり忘れてます。

しかも人一倍自分に甘い末吉、

全くもって勉強してないことが

自分でもよくわかりました。

『今まで末吉は何をしていたんだろう。』

と思うと同時に、

『このメールについてはあと三年勉強してからご返信します』

と返してしまいましたw

末吉、まだまだ努力が足りません。

 

さて、本日も梅雨のため

湿度100%の境内w

 

本日は

午前10時から

今治市宮窪町遺族会の慰霊祭が執り行われました。

2

お代表は

矢野壹紀会長様、

徳丸吉弘事務局長様。

1

祝詞の中で宮窪町御出身の英霊の御名を奏上し

英霊への奉慰顕彰を捧げました。

 

本日は

大雨の中、

ご参拝戴き有難う御座いました。

末吉、正式参拝に思う
カテゴリー: 護國日誌
2017年6月27日 火曜日 コメントはまだありません »

こんにちは。

人生楽笑(じんせいらくしょう)

末吉(すえきち)ですヾ(@^▽^@)ノ

 

昨日午前十時三十分から

愛媛県遺族会評議員会に伴う正式参拝が執り行われました。

1

お代表は

関谷勝嗣愛媛県遺族会会長様。

2

玉串の奉奠に続いて

ご参列の皆様方でご一緒に列拝を戴きました。

 

3

その関谷会長様ですが、

会議や祭典のたびに玉串を奉奠、

ご拝礼戴いておりますが、

普段も、

近くを通られた際、

別の会議で時間に余裕がある際など

お忙しい合間をぬって

ご参拝を戴いております。

 

その後、

御幸殿二階にて評議員会が行われました。

いつもご参拝戴き、

御祭神もさぞお喜びのことでしょう。

 

皆様、ご参拝有難う御座いました。

末吉、愛媛県富山丸戦歿者遺族会慰霊祭に思う
カテゴリー: 護國日誌
2017年6月25日 日曜日 コメントはまだありません »

こんにちは。

人生楽笑(じんせいらくしょう)

末吉(すえきち)ですヾ(@^▽^@)ノ

 

本日は

午前十一時二十分から

愛媛県富山丸戦歿者遺族会慰霊祭が執り行われました。

1

お代表は

芳野勝三会長様。

2

3祝詞奏上の後、

皆様ご一緒に玉串を奉奠、拝礼を戴きました。

4

富山丸は

昭和十九年六月二十九日午前七時二十五分

鹿児島県徳之島沖十二キロの地点で

魚雷三本を受け沈没しました。

所謂轟沈と海上に流出し引火したガソリンのため、

ほとんどの将兵は脱出できず

三千五百名以上の方々が散華されました。

 

その二十年後の昭和三十九年六月二十九日

徳之島亀徳に慰霊塔が建立され

それ以降、毎年盛大な慰霊祭が行われているそうです。

数年前、あるご遺族の方が参列されたとき

その慰霊祭の規模に驚いたとお話下さいました。

 

また、富山丸沈没のとき

徳之島の方々は島を上げて救護に向かい

船を出し、

襖を担架代わりにし、

重傷者の看護、

火傷の手当てなど

老若男女関係なく

ただひたすら救助活動をされたそうです。

 

富山丸沈没から七十三回目の御命日。

英霊を偲ぶとともに

徳之島の方々に感謝申し上げる次第です。

末吉、有難く思う
カテゴリー: 護國日誌
2017年6月24日 土曜日 コメントはまだありません »

こんにちは。

人生楽笑(じんせいらくしょう)

末吉(すえきち)ですヾ(@^▽^@)ノ

 

末吉が奉職して数カ月たったころ、

当時の宮司さんのお付きで

ある会議に出席させて戴いたことがありました。

いらっしゃるのは全国の宮司さんばかり。

末吉はというと、只々オロオロするのがお仕事状態。

まるで

ネコの中のネズミ状態ですw

(別に食べられるわけではないのですがw)

 

会議が終わり引続いて懇親会になったとき、

順番にご挨拶をさせて戴いておりました。

すると

O禰宜さん(当時)がお声をかけて下さいました。

 

O禰宜さん『末吉さんですね。ご出身はどちらですか?ご奉仕して何年目ですか?ご実家も神社ですか?』

いろいろお話をして下さるのですが、

本来は末吉からご挨拶にお伺いしなければならない大先輩。

そのような雲の上の方にお声がけ戴くなど

とんでもないことなんです。

(末吉、オワッタw)

 

でもそんな末吉をよそに

気さくにお話をしてくださいました。

末吉は、とにかく質問にお答えするのが精いっぱいで

なんと答えたかはっきり覚えておりませんw

(今更ながら失礼なことを言わなかったかな?)

しかし、

O禰宜さん『末吉さん世代の方々が、英霊の想いを後世に伝えて下さいね。』

その言葉だけははっきり覚えています。

 

それ以降、

いろいろな場面でお会いするたびに

『お変わりありませんか?がんばってますか?』

必ずお声がけ下さっておりました。

時には

『○○の件について末吉さんはどう思いますか?』

末吉のような日の浅い者でも

一人の神職として意見を聞いて下さいました。

 

その後、権宮司になられご奉仕されておられましたが、

先般、四十四年の御奉仕を終えられたとお伺い致しました。

ご挨拶もできず大変申し訳なく思っておりますが、

末吉、

ご奉仕されていた御姿、

お聞きしたお話を肝に銘じ

これからも精一杯英霊のためにご奉仕させて戴きます。

 

O権宮司さん、

長い間ご奉仕お疲れ様でした。

そして

末吉のような者にまで

いつもお気遣いを戴き

本当に有難うございました。

末吉、沖縄戦終結の日に思う
カテゴリー: 護國日誌
2017年6月23日 金曜日 コメントはまだありません »

こんにちは。

人生楽笑(じんせいらくしょう)

末吉(すえきち)ですヾ(@^▽^@)ノ

 

今日は沖縄戦終結の日。

地方紙にどのような記事が書かれているのか

朝一番で熟読しました・・・・・が、

残念ながら、

一面記事は

東京都議選の告示や

道後温泉本館修復

愛媛国体のことでした。

 

沖縄戦については

当社に縁の深い方が書かれた

『沖縄特攻を見送った』

という記事が投稿欄にあり、

大変嬉しく思いました。

 

また、

当社の御祭神で

昭和十六年十二月八日日米開戦の日に

空母飛龍から飛び立ち攻撃に参加した

今治市御出身の西開地重徳命の遺品が

弟様に返還されたという嬉しい記事も。

 

しかし、

沖縄戦に関して、

当時の様子や

郷土連隊が沖縄で奮戦されたこと、

そして終焉を迎えたこと、

本土や沖縄を守るために

愛媛県の方々がどれほど尽力されたか

そのようなことは皆無でした。

 

畏くも天皇陛下におかせられましては、

昭和五十六年八月七日皇太子殿下であらせられた当時、

記者会見の中で、

日本人として忘れてはならない四つの日として

八月十五日終戦の日

八月六日広島原爆投下の日

八月九日長崎原爆投下の日

そして

六月二十三日沖縄戦終結の日

を挙げられました。

 

沖縄県体育協会のホームページによると

その沿革の中に

『昭和27年国民体育大会に初参加。米国の施政権下にあって、第7回国民体育大会(福島県・宮城県・山形県開催)に初めて沖縄選手団11名(陸上競技)が参加した。祖国日本から分離された状況の中において、国体参加の意義は極めて大きく、それを契機にスポーツの振興は飛躍的に進展した。』(財団法人沖縄県体育協会HPより抜粋)

と書かれています。

その翌年の昭和二十八年には、

第八回国民体育大会が愛媛県で開催され

全国四十七都道府県の方々がその技を競い合いました。

 

それから六十四年。

畏くも天皇皇后両陛下の行幸啓、御臨席を仰ぎ

開催される予定の愛媛国体までちょうど百日。

 

天皇陛下が平成二十四年のお誕生日に際し

『~前略~沖縄は,いろいろな問題で苦労が多いことと察しています。その苦労があるだけに日本全体の人が,皆で沖縄の人々の苦労をしている面を考えていくということが大事ではないかと思っています。地上戦であれだけ大勢の人々が亡くなったことはほかの地域ではないわけです。そのことなども,段々時がたつと忘れられていくということが心配されます。やはり,これまでの戦争で沖縄の人々の被った災難というものは,日本人全体で分かち合うということが大切ではないかと思っています。』(宮内庁HPより抜粋)

このように述べられました。

 

そのことを

日本人一人ひとりがしっかりと受け止め

沖縄戦で奮戦し

散華された約二十万人の方々に

只々感謝と安鎮を願って戴ければと思います。

 

御神前を通し拝礼、

並びに沖縄方面にむけ遥拝。

 

末吉、徒然に思う
カテゴリー: 護國日誌
2017年6月22日 木曜日 コメントはまだありません »

こんにちは。

人生楽笑(じんせいらくしょう)

末吉ですヾ(@^▽^@)ノ

 

ようやく梅雨らしくなってきましたが、

やはり気になるのが災害ですね。

増水した川の様子を見に行ったり

危険な箇所への立ち入りは

決してしないようにして下さいね。

 

さて

この時期といえばはやりホタル。

既に市内近郊では六月初旬に

ホタルのシーズンは終わっていますが

今は山間部だそうですよ。

でも決して捕まえないでくださいね。

 

そういえば

末吉の田舎も梅雨の真っ只中だったなあ。

大袈裟でもなんでもなく

映画火垂るの墓の一コマで出てくるくらい

当時はホタルが飛んでいました。

ガキンチョ末吉でも

網を持って一振り、二振りすると

数匹とれるくらいでしたから、

今思うと

とんでもない数だったんだろうなあ。

 

先日田舎に帰って

その場所に行ってみたのですが、

河川工事や道路整備で

景色は一変していました。

なんとなく残念ですが、

我々が生きていく中で

自然災害を未然に防ぐには

絶対にしておかなければならないこと。

しかし同時に

我々人間の手で

生態系を壊してしまうことも事実です。

 

梅雨空を見ながら

『昔はよかった』

遠い記憶が

ホタルの灯のように

断片的に思い起こされる末吉でした。

末吉、正式参拝に思う
カテゴリー: 護國日誌
2017年6月21日 水曜日 コメントはまだありません »

こんにちは。

人生楽笑(じんせいらくしょう)

末吉(すえきち)ですヾ(@^▽^@)ノ

 

六月十九日午後二時から

広島市遺族会の皆様方の正式参拝が執り行われました。

1

先ずは御本殿にご参集戴き

修祓の後、

広島市遺族会 山田義春会長様が玉串を奉奠、

3

遺族会皆様の列拝に続き、

同行された広島護國神社 松下和正権禰宜様に

玉串を奉奠戴きました。

 

その後

額田宮司が由緒の説明、

場所を移動して御幸殿の説明を致しました。

4

また

時間の都合上、駆け足にはなりましたが、

当社の境内並びに慰霊碑を参拝戴き、

皆様方にご説明申し上げました。

 

広島は

佐々木至一命や

源田実元大佐などの軍人から

やはり、

東洋一の軍港であった呉海軍工廠を中心とし

さらには瀬戸内海で向かい合わせということもあり

愛媛とは非常に縁の深い街です。

 

5

皆様方がご参拝戴きましたこと、

英霊も大変お喜びになられておられるでしょう。

広島市遺族会の皆様並びに

広島護國神社の皆様、

ご参拝、有難う御座いました。

末吉、第八一〇回献謡祭に思う
カテゴリー: 護國日誌
2017年6月19日 月曜日 コメントはまだありません »

こんにちは。

人生楽笑(じんせいらくしょう)

末吉(すえきち)ですヾ(@^▽^@)ノ

 

昨日は第三日曜日。

第八一〇回献謡祭が執り行われました。

修祓の後、

額田宮司の祝詞奏上。

1

御奉納は

シテ 西本千代喜氏。

2

題目は『賀茂』

御奉納の後、

玉串を奉奠戴き、

皆様でご拝礼を戴きました。

ご奉仕、有難う御座いました。

3

また

昭和十九年の本日は

『マリアナ沖海戦』の日。

大日本帝国海軍の正規空母を失い、

サイパン島、テニアン島の玉砕の引き金となり、

さらには

航空機特攻の要因ともなりました。

その一年後には沖縄決戦。

 

英霊となられた方々に

只々額づくのみであります(拝)

末吉、父の日に思う
カテゴリー: 護國日誌
2017年6月18日 日曜日 コメントはまだありません »

こんにちは。

人生楽笑(じんせいらくしょう)

末吉(すえきち)ですヾ(@^▽^@)ノ

 

みなさん、知ってますか?

父の日の由来。

一九〇九年、アメリカ・ワシントン州スポケーンのソノラ・スマート・ドットが男手一つで自分を育ててくれた父を讃えて、教会の牧師にお願いして父の誕生日である六月に拝礼をしてもらったことがきっかけと言われている。

一九六六年、アメリカ合衆国第三六大統領リンドン・ジョンソンは父の日を称賛する大統領告示を発し、六月の第三日予備を父の日に定めた。

一九七二年、アメリカでは正式に国の記念日に制定される。

父の日の花はバラ。父が健在の者は赤いバラ、亡くなった者は白いバラを身に着けたと伝えられている。

(ウィキペディアから抜粋)

そして、

このことが日本にも伝わり今日の父の日となりました。

 

 

厳しいお父さん、

優しいお父さん、

無口なお父さん、

いろんなお父さんがいらっしゃいます。

そんなお父さんをいろいろ評価するでしょう。

 

しかし、

みなさんが生まれたとき、

誰よりも喜んだのがお父さんでしょう。

そして

誰よりも働いたのがお父さんでしょう。

 

そんなお父さんに

今日は感謝しましょうね(⌒▽⌒)

« 前ページへ