末吉、また居留守に思う
カテゴリー: 護國日誌
2010年10月31日 日曜日 2件のコメント »

こんにちは、末吉です(⌒▽⌒)

 

せっかく、週末というのに、

雨が降ってますねぇwww

とはいえ、末吉はご奉仕してますので・・・。。。

 

今日は、朝からドタバタしてますwww

まぁ、いつものことですが・・・。

 

ところで、10月ももう最後。

早いですねぇwww

 

というわけで、

明日の準備のため、、、

居留守つかっちゃいま~す(⌒∇⌒)ノ””

 

 

御用の方は・・・

 

 

明日以降にコメントしてください(⌒▽⌒)アハハ!

末吉、教育勅語に思う
カテゴリー: 護國日誌
2010年10月30日 土曜日 4件のコメント »

こんにちは、末吉です(⌒▽⌒)

 

明治23年の本日、

畏くも明治天皇より

『教育勅語』の下賜がありました。

 

つまり、

教育勅語渙発120年

という記念すべき日ということですね。

 

みなさんはこの

『教育勅語』

ちゃんと暗唱できますか???

(末吉は・・・・できませんが…ボソ( ̄o ̄))

 

 

全文です

 

 

 教 育 ニ 關 ス ル 勅 語

朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト
深厚ナリ我カ臣民克ク忠ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世々厥ノ
美を濟セルハ此レ我國體の精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ
存ス爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉
己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ
徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重ジ國法ニ
遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ
是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ
遺風ヲ顯彰スルニ足ラン斯ノ道ハ實ニ我ガ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ
子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ
施シテ悖ラス朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ咸其徳ヲ一ニセンコトヲ
庶幾フ

明治二十三年十月三十日

    御 名   御 璽

 

 

 

末吉にはちょっと難しいです( ┰_┰) シクシク

 

 

末吉と同じような方々のため、

わかりやすいのがありましたよヾ(@^▽^@)ノ

 

 

私は、私達の祖先が、遠大な理想のもとに、道義国家の実現をめざして、日本の国をはじめになったものとしんじます。そして、国民は忠孝両全の道を完うして、全国民が心を合わせて努力した結果、今日に至るまで、美事な成果をあげて参りましたことは、もとより日本のすぐれた国柄の賜物といわねばなりませんが、私は、教育の根本もまた道義立国の達成にあると信じます。
 国民の皆さんは、子は親に孝養をつくし、兄弟、姉妹はたがいに力を合わせて助け合い、夫婦は仲むづまじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じ合いそして、自分の言動をつつしみ、すべての人々に愛の手をさしのべ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格をみがき、さらに進んで、社会公共のために貢献し、また法律や、秩序を守ることは勿論のこと、非常事態の発生の場合は、真心をささげて、国の平和と、安全に奉仕になければなりません。そして、これらのことは、善良な国民としての当然のつとめであるばかりでなく、また、私達の祖先が、今日まで身をもって示し残された伝統的美風を、更にいっそう明らかにすることでもあります。
 このような国民の歩むべき道は、祖先の教訓として、私達子孫の守らなければならないところであると共に、このおしえは、昔も今も変らぬ正しい道であり、また日本ばかりでなく、外国で行っても、まちがいのない道でありますから、私もまた国民の皆さんとともに、父祖の教えを胸に抱いて、立派な日本人となるように、心から念願するものであります。

 

 

いかがでしょう?

 

わかりましたか?

 

 

年配の方々にとっては、

ごく当たり前のことだと思いますが、

 

若い方々にとっては、

(・_・o)ン? (o・_・)ン? (o・_・o)ン?

と思うのではないでしょうか?

 

現代のような

世知辛い世の中、

改めて

日本国民としての意識の向上につとめなければ。。。

 

 

いかにこの『教育勅語』が大切か、

改めて思う末吉でした。。。

末吉、慌てて思う
カテゴリー: 護國日誌
2010年10月28日 木曜日 コメントはまだありません »

こんばんは、末吉です(⌒▽⌒)

 

今、カラダがピキピキいってます( ┰_┰) シクシク

 

今日は、

七五三→お正月

のための、境内駐車場の整備を兼ねて、

ロープ張りをしましたwww

 

『末吉工務店』

ですね(⌒▽⌒)アハハ!

 

朝から、

準備→作業→サボリ→疲れる→帰宅→昼寝→更新忘れて慌てる

という、一連の流れを経て、

記事を書いてます・・・

∑( ̄□ ̄)ヤバイ!!!

1時間ないぃ!!!!

 

っというわけで、

明日はお休みなので、

更新は明後日・・・

 

カラダがピキピキしてなければ・・・ですがwww

 

 

そうそう、

『末吉工務店』

ですが、

当社専属、元請けオンリーの業者ですので、

悪しからずo(*^▽^*)o あはっ♪

 

 

ってことは・・

末吉は社長ヾ(@^▽^@)ノ

 

 

兼、社員www

末吉、レイテに思う(3)
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2010年10月27日 水曜日 4件のコメント »

こんにちは、末吉です(⌒▽⌒)

 

今日は、、お手伝いで別のお社に来ています。。。

PCはモバイル用のデータカードがありますので、

電波が届くところならどこでも更新できます。。。

(ただ・・・使い放題とはいえ、ちょっと高いかもwww)

 

 

<続きです>

『特攻は統帥の外道である』

そう言いながら、命令を下さざるをえなかった大西閣下。

最近の記録を見ると、

8000柱を越える方々があらゆる特攻に出られました。

 

特攻は、

航空機特攻(零戦特攻や人間ロケット桜花など)

洋上特攻(ベニヤボート震洋など)

水中特攻(特殊潜航艇海竜、潜水器を身に纏う伏竜、人間魚雷回天など)

などなど、関中佐の公式特攻以後、ありとあらゆる特攻が戦場で用いられました。

 

 

終戦に近づくにつれ、

豫科練や少年兵(海軍予科練習生、陸軍少年航空兵の略・・・だったと思う)

が出撃することが多くなり、

純真無垢な少年たちが戦場へと散っていったのです。

年齢で言うと、、、

13、14歳くらい。

今の中学生です。

 

何度も繰り返しますが、

『特攻は統帥の外道である』

大西閣下が言われたことがわかる気がします。

 

 

当初、

関中佐の御母堂様である、

関 サカエ氏は、

『軍神の母』

と言われていましたが、、、

戦後、周囲の態度は180度激変し、

『お前の息子が先に逝ったけぇ、うちらの息子も続かないかんかったんじゃ!』

などと、罵声をあびせられ、石を投げられ、

まともな生活ができなかったそうです。

昭和28年に没するまで『草もち』を売って生計を立てていたそうです。

それは偏に、

『せめて・・・行男の墓を・・・』

  

その翌年の昭和29年、

関中佐の墓が建立されました。。。

しかし、御母堂様は墓前に立つことなく、

関中佐のもとへと旅立たれた後のことです。

 

レイテ沖海戦では、多くの将兵が散華されました。

そして、さらに多くの将兵がそれに続きました。

 

昭和20年8月15日、終戦の日。

大西閣下は、玉音放送を聞き終えると、

東京の自宅で割腹をするのです。

部下がたすけようとするも、それを制止し、

10数時間、もだえ苦しみ、

壮絶な死を遂げられました。

 

その遺書は、

現代の我々に対しての叫びにも聞こえます。

 

『特攻の英霊に申す

 善く戦ひたり深謝す

 最後の勝利を信じつつ肉弾として散華せり

 然れ共其の信念は遂に達成し得ざるに倒れり

 吾死を以て旧部下の英霊と其の遺族に謝せんとす

 次に一般青少年に告ぐ

 我が死にして軽挙は利敵行為なるを思い

 聖旨に副ひ奉り自重忍苦するの誠ともならば幸なり

 隠忍することも日本人たるの矜持を失う勿れ

 諸子は国の宝なり

 平時に処し猶克特攻精神を堅持し

 日本民族の福祉と世界人類の為

 最善を尽せよ』

 

 

関中佐の命日。

後世にわたり、その武勲を讃え、

現代の目覚しい発展の先駆けとなられた御霊に対し、

安らかならんことを祈りつつ、

同県である誇りを胸に、

まだ見ぬレイテに複雑な思いを馳せる、、末吉でした。

末吉、レイテに思う(2)
カテゴリー: 護國日誌
2010年10月26日 火曜日 2件のコメント »

こんにちは、末吉です(⌒▽⌒)

 

テレビでインスタントコーヒーが美味しく飲めるサーバーを購入しました。

連日、飲みすぎで、ちょっと胃が・・・

 

 

<続きです>

大西閣下の命を受け、出撃された関中佐。

出撃当時、23歳。。。

ご母堂様と奥様との3人家族だったそうです。

ご家族の話は機会があれば・・・ということに。。。

 

当社にご参拝された方が関中佐と同郷で、

出撃前の休暇で帰郷された様子を語って下さいました。

 

『関さんはなぁ、、ワシが所用で駅のホームでおったら、

 丁度休暇で帰ってきたとこらしくてな、、、

 一言挨拶して、そのまま家に向かってったよ。

 最後に関さんを見たんは、お伊曾乃さん(伊曾乃神社)の前を通った時でな、

 夕暮れにたった一人でお参りしとった。

 なんや、長いこと手を合わせてなぁ・・・

 もう、戻って来れん事を感じとったんかもしれん。

 なんせ、小学校ではワシが先輩、関さんは後輩やったけぇ、

 関さんのことはよぅ知っとるんよ。。。』

 

∑( ̄□ ̄)ナント!!

実はこの方、関中佐の同郷どころか、先輩でした。。。

 

さて、戦況は悪化の一途をたどりつつある、昭和19年、

フィリピン沖では米連合軍が、

『I shall return 』

という言葉を残し撤退した、

ダグラス・マッカーサーの言葉通り、

フィリピン奪還にむけ、作戦を遂行していました。

 

『1週間でいいから、敵空母の甲板を使えないようにできないか?』

海軍の期待を一身に背負った大西閣下が、

フィリピンのマバラカット基地へ到着した時、そう言われたそうです。

当時、制空権は圧倒的物量により、米連合軍にありました。

そこで、空母を一時使用不可能な状態にし、

連合艦隊が米海軍を壊滅させるという作戦だったです。

余談ですが、このとき、彼の有名な『戦艦大和』『戦艦武蔵』も出撃しており、

戦艦武蔵は、19年10月24日に激戦の末沈没しました。

 

このレイテ沖海戦は、

我が大日本帝國海軍の主力艦隊を始め、ほぼ総力をあげての戦いだったのですが、

この戦いで、事実上壊滅状態となってしまいます。

 

ただ、唯一の戦果を挙げたのが、このときに始まった、

『零戦特攻』

だったのです。

250キロ爆弾を搭載した特攻機(関中佐は零戦)で、

上空から降下し、水面に平行して超低空飛行で、

敵艦の真横から突っ込む。。。

 

現代から考えれば、非人道的な作戦です。

それは、当時の大西閣下も予言しておられました。

当初から

『特攻は統帥の外道である』

とまで言い切り、最後まで海軍に意見したのですが、

結局、それも受け入れられず、その責任の全てを一人が受ける形となってしまったのです。

 

「わが声価は棺を覆うて定まらず。 百年の後、また知己なからんとす。」

当時の部下にそう言った通り、

現在でも、大西閣下の立場は賛否分かれるところです。

末吉、レイテに思う(1)
カテゴリー: 護國日誌
2010年10月25日 月曜日 4件のコメント »

こんにちは、末吉です(⌒▽⌒)

 

昭和19年10月25日

西条市大町御出身

海軍中佐 関 行男命(没後2階級特進当時大尉)の御命日です。

勿論、当社でも御祭神としてお祀りしております。

(写真は終戦60年、楢本神社慰霊祭)

この方は、

日本で初めて公式特攻をおこなった、

敷島隊の隊長でした。。。

ですので、

慰霊碑まわりには、

同時に特攻された敷島隊の方々のお名前が刻んである、

250キロ爆弾の形をした碑があるんです。。。

 

 

 

ただ、関中佐をお話しする前に、、、

大西滝治郎海軍中将をお話しするのが順序でしょう。。。

 

 

大西閣下は、

兵庫県の生まれで、

かの真珠湾攻撃の作案者でもあります。

海戦当時、連合艦隊司令長官であった、山本五十六元帥の右腕としてその智将ぶりを発揮されていました。

 

『特攻の父』『特攻の生みの親』ともいわれる由縁は、

このレイテ沖海戦(昭和19年10月20日)で最初に公式特攻をしたときの、

第一航空艦隊司令長官だったからです

 

昭和19年10月20日午前1時頃、

隊長に、関大尉(当時)が選ばれました。

そして、関大尉の、

『それに相応しい呼称をお願いしたい』

という具申に、

これは、特別な攻撃であり、

戦局に神風が吹くようにとの意をこめ、

『神風特別攻撃隊』

と決定されたそうです。

 

隊名も、、

本居宣長の八州八島を詠った、

『敷島の大和こころを人とはば 朝日ににおう山桜花』

これにちなみ、

『敷島隊』『大和隊』『朝日隊』『山桜隊』

と名付けられました。

 

午前10時、

隊長関大尉を右先頭として、24名の隊員が並び、

大西閣下から訓示を受けました。

全文が次です。

 

『日本は正に危機である。

 しかも、この危機を救い得るものは、

 大臣でも大将でも軍令部総長でもない。

 もちろん自分のような長官でもない。

 それは諸子の如き純真にして気力に満ちた若い人びとのみである。

 従って自分は一億国民に代わり、皆にお願いする。

 どうか、成功を祈る。

 皆は、すでに神である。

 神であるから欲望はないであろう、が、

 もしあるとすれば、それは自分の体当たりが、

 無駄ではなかったか、どうか、それを知りたいことであろう。

 しかし皆は永い眠りに就くのであるから、

 残念ながらしることも出来ないし、知らせることも出来ない。

 だが、自分はこれを見届けて必ず上聞に達するようにするから、

 そこは、安心して行ってくれ・・・しっかり頼む』

 

この訓示のあと、閣下は隊員一人一人と熱い握手を交わしたそうです。。。

 

 

当初、閣下はこの4隊24名のみの特攻隊と考えていました。

しかしその偉功により、特攻は終戦まで続きました。

≪裏≫末吉、雨に叫ぶ
カテゴリー: 護國日誌
2010年10月24日 日曜日 2件のコメント »

こんにちは、末吉です(⌒▽⌒)

 

相変わらず、末吉はバタバタしてます。。。

今日も結婚式が一件あり、

新たな門出を誓われたご夫婦がいらっしゃいました。。

本当におめでとうございますm(_ _)m

 

 

昼食も終わり、フッと外を見ると、、、

ひさしぶりの雨。。。

『あめだなぁ~・・・』

 

と、同時に、、、

『大吉はどこに???』

 

そう、、、大吉の雨宿りは、

ここ最近見たことありません。。

 

お腹が空いたら、

『ニャ・・・ニャ・・・』

と、文字通り、猫なで声を発しながら、、、

寄ってくるのですがwww

落ち着いたら、

『大吉特集』

でもしようかしら。。。

 

 

と、まぁ、こういうのんびりしてるのは、

末吉だけでありまして、、、

奄美諸島は大変な事態。。。

本当に緊急事態ですwww

 

大雨による影響で、

ライフラインの復旧は目処がたたず、

どこから手をつけていいのかわからない状況だそうです。

 

(゛ `-´)/ コラッ!!

こんなときに、政府は何をしとるんじゃ!!!

対応がおそすぎるわいア!(* ̄○ ̄)( ̄о ̄*)ホ!!

支那にヘラヘラしてる場合じゃない!!

仕分けなんでいつでもできるだろうが!!

先ずは、人命が一番じゃないんかい!!!

『国民の生活が第一』

あれはうそか???!!!

 

そもそも、地球の温暖化、環境悪化云々は、

支那が無知な途上をしてきたからじゃないか?

だから、地球がおかしくなったんじゃい!!

近隣諸国はいい迷惑じゃ!

奄美の方々に謝れ!!

 

 

 

奄美諸島の皆様方、、、

政府はあてにしてはいけません。。。

今は、県と市町村で連携し、、、

突然のことで、

本当に大変でしょうけど、、、

頑張ってください。。。

心からお見舞い申し上げます。。。

 

一日も早く通常の生活にもどれますよう、

お祈り致します。。。

末吉、結婚式に思う
カテゴリー: 護國日誌
2010年10月23日 土曜日 4件のコメント »

こんにちは、末吉です(⌒▽⌒)

 

今日の末吉は、

書類整理で朝からバタバタしてまして、、

ようやく一段落つきかけた頃でした。。。

 

 

『こんにちは~ヾ(@^▽^@)ノ』

社務所の窓口に、どこかで見た顔が・・・

和氣孝雄氏と、その娘さんです。。

『ご無沙汰してます、お変わりないですか~?』

 

そう、彼は、4年前、

まだ、当社に『護國日誌』が存在する以前、、、

実習生として、一ヶ月、末吉とともにご奉仕していました。

『久しぶりだねぇ~、、、今日は妹さんの結婚式で?』

『そうです、、、宜しくお願いしますm(_ _)m』

相変わらず、礼儀正しい好青年です。。。

今では、立派な神職として、最前線で活躍しています。。。

う~む・・・末吉とは大違いだ…ボソ( ̄o ̄)

 

 

さて、、、

本日、また一組の新しいご夫婦が、

ご神前で永遠の誓いをされました。

新郎 青木 司様。

末吉 『折角ですから、写真よろしいですか?』

新郎 『是非とも宜しくお願いしますm(_ _)m』

礼儀正しい、好青年!!

まるで末吉のようだ…ボソ( ̄o ̄)

(ん!ぜんぜんちがうって??)

  

新婦 和氣 愛様。(和氣氏の実妹)

末吉 『写真宜しいですか?』

新婦 『是非お願い致しますm(_ _)m』

 

キョロ ((o(・x・ )o( ・x・)o)) キョロ

いやぁ~美人ですねぇ~(@⌒ο⌒@)b ウフッ

 

折角ですから、、ご両家のご両親も。。

新郎様のご両親。。。

こころなしか、緊張されていますね。。。

 

新婦様のご両親・・・といいますか、、、

和氣宮司様ご夫妻です。。。

 

新婦のお父上であり、和氣孝雄氏のお父上でもある和氣宮司様、、、

小川宮司と心知れた仲であります。。。

和氣宮司様は、西予市野村町の三嶋神社でご奉仕されており、、、

我々、若手(?)神職にも、心安くお話下さる、

末吉の尊敬する、、、大先輩です。。。

 

∑( ̄□ ̄)

話が蛇行してしまいましたね。。。。

 

 

結婚式も滞りなく終了し、

新郎様、新婦様、、、

緊張から開放されて、

笑顔で写真を撮ってましたよ(⌒▽⌒)

(これは、式の直前に撮りましたが・・・)

こうして見ると、本当にお似合いのご夫婦ですね。。

 

 

そんなご夫婦に、末吉から一言。。。

『人生常笑』(じんせい じょうしょう)

常に笑うことが、これからの人生を上昇させていく、という意味です。。。

これから、夫婦二人三脚、、、

笑顔いっぱいの、明るい家庭を築いて下さいね。。。

 

これからも神様のより多くのご加護がありますことを、

重ねてお祈り申し上げます。

 

 

本日は、本当におめでとうございましたm(_ _)m

すえなが~~~~~~~~~~~~く、

お幸せに~☆ヽ(∇⌒ヽ)(ノ⌒∇)ノ☆

≪裏≫末吉、矛盾に叫ぶ
カテゴリー: 護國日誌
2010年10月23日 土曜日 コメントはまだありません »

こんにちは、末吉です( ̄皿 ̄)うしししし♪

 

先ほど、お昼のニュースを見ていると、、、

『今日は殉職自衛官の慰霊式』

 

殉職された自衛官の皆様方、

日本のために本当に有難う御座いました。

心から慰霊と感謝を申し上げます。

 

 

ただ・・・

缶首相と、鬼多左和大臣が出席しているのは・・・

だって、売国奴ですものwww

 

 

矛盾という言葉がピッタリ!!!

末吉、複雑に思う
カテゴリー: 護國日誌
2010年10月22日 金曜日 コメントはまだありません »

こんにちは、寒いのが苦手な末吉です(⌒▽⌒)

 

秋も深まり、

全国各地で『クマ』被害が深刻になってます。

どうやら、梅雨あたりからの異常気象の影響で、

エサである『ドングリ』が不作だとか・・・

 

人間だけでなく、

自然界、動物界でも、

いろいろなことがあるもんですねぇ・・・

歯車が一つ狂えば、

全てがおかしくなるwww

 

今の政局のようだ…ボソ( ̄o ̄)

 

 

さて、

先日、当社の用務員に、

『末吉さん、、、ちょっとした小ネタ』

と言われ、、、

指定された場所に行くと、、、

(・_・o)ン? (o・_・)ン? (o・_・o)ン?

なんかある…ボソ( ̄o ̄)

なんか、花が咲いとる…ボソボソ( ̄o ̄)

なんの花かなぁ???

あまり花の名前知らないので、

ちょっと逃げ腰で見ていると、、、

( ̄□ ̄)

∑( ̄□ ̄)ナント!!∑( ̄□ ̄)ナント!!∑( ̄□ ̄)ナント!!

『桜』

ではあ~りませんか!!!

 

桜は春に咲くもの・・・

今は・・・

秋?

だよなぁ・・・

  ↑ ↑

末吉、の思考回路はこんな感じ。。

 

そうなんです、いわゆる、

『狂い咲き』

というやつですね。。。

咲く時期を間違った、

ちょっとおっちょこちょいな桜なんです。。。

 

でも、この時期に咲くなんて、

やはり、どこか歯車がくるってるんでしょうねぇwww

 

ちょっぴり複雑な気持ちになりながら、

『折られませんように( -人-) 』

と、思わず心配してしまいました。。。

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