大東亜戦争終結七十一年
カテゴリー: 護國日誌
2016年8月15日 月曜日

大東亜戦争終結七十一年

戦歿将兵の鎮魂と世界の平和を希う

コメント / トラックバック2件

  1. 清麿 より:

    末吉様 宮司様 職員の皆様 昨日の終戦記念日祭 お疲れ様でした。昨日も暑い中 無事  終戦記念祭を、終えました事、感謝申し上げます。 老いた父が10歳の時 、昭和二十年八月十五日 あの日も暑かった!と申して居りました また 祭神の一柱で在られる父の兄 【私の伯父】も あと9ヶ月無事で居てくれたら良かったものをと、一回り歳の離れた亡き兄上の死を悼んだと、当時を、思い出しては、私と孫達に、話してくれました。また戦争を、賛美する訳では無いが  当時の日本は、如何にして 自国を、守る 如何にして国民を守るかという岐路に、立たされていた時代だった。欧米諸国を相手に、喰うか喰われるかの時代だった。近隣アジアも同じだった。 だから下士官、兵に、至るまで立ち上がった。志願した。将兵も多かった。兄も含めて…今の 緩い平和に、ボケた日本には、解るまいが周りの海と言う堀に、囲まれた外の情勢を、見よ 油断ならん!それが解れば、当時の散華された将兵の心も見えてくる筈だ!と家族皆に、話してくれました。今の平和は、当時の将兵が残してくれたもの そして、遺族が英霊となられた将兵から受け継いで来たもの その後に続く若い世代がしっかり理解してもらいたいものです

  2. 末吉 より:

    清麿様

    こんにちは。
    いつもコメントありがとうざいます。
    扨、終戦記念日祭には猛暑の中、ご参拝戴き、有難く篤く御礼申し上げます。
    御尊父様の仰るように、
    当時の日本は自存自衛の戦いをし、
    『日本』という国は勿論、東南アジア各地の植民地の解放に貢献したことは周知の事実です。
    戦後の平和を維持できるのも当時の方々が血と汗と涙を流したからこそであります。
    しかし、
    戦後教育も相まって、そのことが正しく伝えることが出来ず、ややもすれば日本軍悪玉史観という英霊に大変申し訳ない思想に毒されています。
    終戦の日のみならず、
    常に『感謝』を以て英霊とともに日々を送ってほしいものですね。

コメントをどうぞ

« »