末吉、インパールに思う
カテゴリー: 護國日誌
2017年7月4日 火曜日

こんにちは。

人生楽笑(じんせいらくしょう)

末吉(すえきち)ですヾ(@^▽^@)ノ

 

台風三号が接近中!

現在、長崎市付近に上陸したそうです。

本日、お昼から夕方にかけ

九州、四国を横断するとのこと。

突風や突然の大雨も予想されますので

決して田圃、畑の水の具合を見に行ったり

海や川の様子を見に行ったりしないよう

気を付けてください!

 

さて

今日はアメリカ独立記念日。

所謂『インディ・ペンデンス・デイ』

一七七六年にイギリスに統治されていた一三州の植民地が独立した日です。

故に

星条旗のヨコシマの紅白が一三本。

みなさん、よくご存知のお話ですよね。

 

では、

その統治していたイギリス軍と戦った

インパール作戦をご存知ですか?

 

蒋介石率いる中国国民党を支援する

援蒋ルートを遮断することを目的とし

インド北東部のインパールを攻略すべく

昭和十九年三月に作戦が開始されました。

約四カ月の間に投入された将兵は約十万人。

しかしその殆どが飢餓と伝染病で戦病死、

七十三年前の今日、その作戦の中止が命令されました。

その内容から

無謀な作戦として今でも語られているそうです。

 

ジャングルと二千メートル級の山脈の間を縫い

作戦を遂行していくのですが

補給が追い付かず、食料はほぼ現地調達。

ジャングルでは虎や蛇に襲われる事案も発生。

マラリアやアメーバ赤痢などの伝染病に罹り次々と命を落とし、

身体にはハエがたかり、

ウジがわき、

口の中から稲が芽をだし

さらには

河を渡るときに流され、下流ではハゲタカが群がり・・・

あまりの苦しさに耐え切れず

自決するものが続出・・・。

 

そのような状況でしたので

その道沿いは将兵の遺骨が標となり

いつしか『白骨街道』と呼ばれるようになりました。

そしてその結果、

インパール作戦だけで実に八万人以上の将兵が

ビルマの地で散華されました。

 

ある体験記にはこう記されていました。

『インパール作戦に参加した将兵で、敵の攻撃で戦死したものは殆どいません。飢餓と伝染病、この二つが最大の敵でした。』

 

平和な現代からみると、とても想像できないでしょう。

しかしこの戦いがあったことは紛れもない事実です。

 

みなさん、

決して忘れないでください!

遠い異国の地で

祖国日本を想い

大切な家族を想い

後々の子孫を想いながら

血と汗と涙を流し散華された多くの将兵の方々の想いを。

 

 

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