末吉、七夕に思う(続)
カテゴリー: 護國日誌
2010年7月7日 水曜日

おはようございます、末吉です

続きです

 

 

この、盧溝橋(ろこうきょう)

東方見聞録にも乗っている、非常に美しい橋だそうですが、

当時の日本は、日清、日露両戦役で正当な権益として中国などに領土を得ていました

 

そして、73年前の本日未明、

中国側からの発砲とともに、一気に緊張状態となり、

日本は支那事変、大東亜戦争へと突入していくのです

 

当初、日本軍は攻撃されても、無抵抗でした

それは、駐屯している周りに日本人自治区があり、

大本営もそれを望まなかったからです

中国軍の日本人への迫害が始まっても、

「戦争は決してならぬ!」

という厳命があり、決して攻撃をしませんでした

しかしながら、迫害によって多くの日本人が被害を受け、しまいには日本軍に向かって、

「その軍刀は竹光(模造刀)か!!」

という罵声を浴びせられるほどでした

そして、ついにその重い腰を上げ、戦争へと突入していったのです

 

と、簡単に説明しましたが、これが盧溝橋事件の歴史的事実なのです

田母神論文でもこれらのことが書いてあり、実際に証明された識者もたくさんいます

 

織姫さまと彦星さまは、年に一度、天の川で会うことが出来ます

しかし、盧溝橋では、

「ここで会ったが100年目!」

という具合ですね

 

七夕・・・ねがいごとは、

「英霊の鎮魂」

「歴史事実の再認識」

末吉は正しい歴史教育がおこなわれることを願ってやみません

コメント / トラックバック2件

  1. 匿名 より:

    私も、もっと勉強したいと思います。
    先月の末日、朝早くに蛍を二匹見ました。
    なんだか、亡くなった方が訪ねて来られたみたいで、胸が熱くなりました。護国神社に蛍、とっても似合ってました
    是からも、頑張ってください。

  2. 末吉 より:

    匿名様
     
    コメントありがとうございますm(_ _)m

    蛍・・・
    その命の短さと儚さ故に、御祭神と重なってしまいますよね。
    何か語りかけているような、そんな気にさえなってしまいます。
    熱心にご参拝頂いているからこその出来事ですね。
    今後も是非英霊の慰霊顕彰のため、ご参拝下さい。

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