末吉、ミッドウェー海戦に思う(3)
カテゴリー: 護國日誌
2011年6月8日 水曜日

『祈  復興!東日本』

 

 

 

こんにちは、末吉です。。。

 

ようやく続きを書くことができますね。

と言っても、

末吉の都合ですので、

大変恐縮しております。

 

では、早速。。。

 

ミッドウェー海戦が決定するにあたっては、

そのほかにも、

①軍令部と山本長官の意見の相違

②ミッドウェーと日本はあまりにも距離が遠いため、仮に占領しても補給が困難

などなど、

多くの不安があったにも関わらず、

海戦へと進みます。

 

米軍は、

5月頃から頻繁に使われている暗号を解読し、

ミッドウェーを攻撃してくることを察知。

それに完全に迎え撃とうとしました。

 

が、、、

日本軍は、

主力空母4隻

艦艇150隻

航空機1000機以上

兵力約10万

数では日本軍が圧倒的に有利で、

かつ、

零戦が無敵の強さを誇っていた時代、

第一次攻撃は、

日本軍の圧倒的勝利となりました。

 

しかし、

第一次攻撃では不十分と判断し、

第二次攻撃を要請。

 

このときの日本軍空母には、

米軍機動部隊を発見した時の為、

魚雷を装備した艦上攻撃機が待機してましたが、

索敵機から空母発見の報告がなかったため、

魚雷を爆弾に付け替えるよう指示。

ところが、

米軍艦隊発見の報告があり、

再び魚雷へと転換するのです。

 

甲板は装備転換作業で混乱し、

さらに追い打ちをかけるように、

第一次攻撃隊も帰投してきたため、

ほとんどパニック状態。

 

ようやく第二次攻撃隊の発進準備が終わり、

出撃命令を待っていたまさにそのとき!

米軍の攻撃隊が日本艦隊を襲ったのです。

 

普通であれば、

多少の爆弾を食らっただけでは、

空母は沈没しません。

しかし、

甲板で燃料を満載した飛行機が次々に誘爆し、

一発の爆弾が何倍もの威力になってしまったのです。

そして、

大日本帝国海軍は4隻の空母を失い、

着艦場所を失った戦闘機も同時に失ったのです。

 

『運命の5分間』

 

ミッドウェー海戦のときには、

このことをよく言われます。

 

日本軍の発艦があと5分早ければ・・・

米軍の攻撃があと5分遅ければ・・・

 

結果、

大日本帝国海軍は致命的な打撃を受けるに至り、

終戦まで尾を引くこととなりました。

 

う~ん・・・

ミッドウェー海戦、、、

わかったでしょうか?

(やっぱりわかりやすく書こうとすると逆に難しいですねぇwww)

コメント / トラックバック6件

  1. 北条ヒロシ より:

    運命の5分間。
    ミッドウエー海戦ドキュメント。
    よく分かりました。

  2. 末吉 より:

    北条ヒロシ様
     
    こんにちは。
    ミッドウェー海戦は、
    非常に複雑な上層部のやりとりがあり、
    かつ、
    米軍の動きも早く、
    言葉で説明すると、
    ものすご~く長くなってしまうんですが、
    極論から言いますと、
    『運命をわけた5分間』
    ということですね。

  3. ブロッケンの妖怪 より:

    末吉君へ
    兄ぃと呼んでくれてとっても嬉しいね〜っ。 例え血が繋がっていても仲が悪かったりするし、逢えなくてもわかり会える家族もあり、と、私はそう思う。

    ミッドウエー島の事ブロッケンと話しました。 僅か5分が天下分け目の戦いだったのですね。私もブロッケンも戦後生まれ、戦争はあってはいけない事、私達国民はその方々の尊き命を捧られた方々を決して忘れてはいけないとブロッケンと話しました。 今の私達が幸せに暮らせるのもその方々のおかげだと忘れてはいけない事です。

    それと、ブロッケンの事は、医師からの進めもあり、暫くの間だけ被災地を離れる事にしました。被災地に居れば、雨の中に、晴れた日の砂埃の中に、肺炎の菌が要るためです。

    それとじっちゃんは今、鹿児島県に居ます。 以前末吉君にゲートルの話をしましたよね。 ゲートルは、じっちゃんにとって大切な宝物、1つ1つがじっちゃんの戦友の方々の形見。
    今月、鹿児島県の御遺族の方と連絡が取れ形見のゲートルをお届けに行ってます。 又、沖縄県にも行ってくると言ってましたよ。ブロッケンの事は、「陽希が居るから心配しない」と言って豪快に笑ってました。 末吉君に「旨い芋焼酎買ったから、末吉君と飲む」と言ってましたよ。

    末吉君倒れるなよ。じっちゃんは89歳には、見えないぞ。

    (覚悟したほうが良いかも)

    陽希兄ぃより

  4. 善。 より:

    勉強になりました!
    知ってるようで知らない戦争の真実。

    またこのような戦争記をお願いします。

  5. 末吉 より:

    ブロッケンの妖怪様
     
    こんにちは、兄ぃ様。
    その後お変わりありませんか?
     
    お互いがお互いを思い、
    気持ちがしっかり繋がっていれば、
    もう家族同然だと末吉は思います。
    兄ぃのご来社、お待ちしておりますよ。。。
     
    ブロッケン様のこと、
    何卒宜しくお取計い下さい。
    早く元気になるよう、ご祈念しておりますと
    お伝え頂ければ幸甚です。
     
    さて、
    当然、末吉も戦後生まれですので、
    無謀にも記事にしてますが、
    正直、迷いながらの日誌です。
    戦争を全く知らない世代でありながら、
    戦争を語るのは・・・
    ただ、
    戦争は、
    『血と汗と涙』が流れるだけで、
    後に残るのは、
    『悲しさと悔しさ』
    だけだと・・・
    だからこそ、
    戦争は二度と起きてはいけませんし、
    その悲惨さを伝えなきゃいけないんですよね。
    そのことを一番よくご存知なのは、
    ご遺族の方々、復員された方々、体験された方々なのですから・・・。
    だからこそ、
    『感謝』
    することを、
    決して忘れてはいけませんよね。。。
     
    ブンチャンととってもひたしくしているじいさん様のこと。
    えええ~っ!!!!!
    鹿児島ですか~?
    ブンチャンととってもひたしくしているじいさん様に火をつけてしまったのかなぁwww
    しかし、
    戦友の方のゲートルを未だにお持ちになられ、
    震災にあっても、
    それをお届けに行かれているとは・・・
    しかも、
    東北から鹿児島、沖縄に行かれてるなんてwww
    なんて行動派!
    それをお聞きしただけでも、
    恐るべし89歳!
     
    って、
    末吉は下戸なのに・・・
    本当に撃沈させられるかもしれないwww
     
    ん?
    ということは、
    ご来社頂けるということでしょうか?
    ええっ!!!!
    そうなんですか?
    それは楽しみだ!!!
     
    とにかく、
    道中長いですので、
    ご連絡がとれるのであれば、
    お気をつけてとお伝え下さい。。。
     
    種々、兄ぃにはお願いばかりで
    本当に恐縮ですが、
    何卒宜しくお願い致します。。。
     
    当社職員一同、
    一日も早い震災復興をお祈り致しております。

  6. 末吉 より:

    善。様
     
    こんにちは、御無沙汰しております。
    非才な末吉ですので、
    ちゃんと伝わったかどうか・・・
     
    大東亜戦争では、
    いろいろな場所で
    いろいろな戦いがありましたので、
    少しずつご紹介していくように致しますね。
    ただ・・・
    末吉も戦後生まれですので、
    うまく伝わるかどうか・・・
    また、
    正確なのかどうか・・・
    そこが心配ですwww
     
    懲りずに読んでくださいね。。。

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