末吉、栄光の軍旗に思う(1)
カテゴリー: 護國日誌
2011年6月22日 水曜日

『祈  復興!東日本』

 

 

 

こんにちは、末吉です。。。

 

昨日はお休みを頂いておりましたが、

一昨日はとにかく豪雨でしたねぇwww

明け方3時頃まで雷がものすごく、

まるで昼のようにピカピカしてましたwww

まだ梅雨真っ盛りですから、

土砂災害などには呉々もお気をつけ下さいね。

 

さて、

話しはガラッと変わりますが、、、

明日は沖縄鎮魂の日ですね。。。

 

突然ですが、

この写真、

一体なんの写真なのか、

わかりますか?

歩兵銃が3丁、しかも着剣してあります

房のついたものがあって・・・

 

わかりましたか?

 

これは、

我が郷土部隊、

『歩兵第二二聯隊軍旗』(俗称 松山聯隊)

 

いつごろの写真かはわかりませんが、

とある方がこの写真をご奉納くださったそうです。

房だけしか見えないのは、

激戦につぐ激戦で、

房しか残っていないのだそうです。

 

昭和20年6月23日、

沖縄慰霊の日。

 

換言すれば、

我が郷土、松山聯隊を含む

沖縄守備隊が最後の総攻撃を開始し、

組織的攻撃が終了した日。

 

さらに換言すれば、

沖縄が米軍によって占領された日。

 

この軍旗は、

明治19年8月17日、

明治天皇より拝受されてより、

60有余年に亘り、

松山聯隊とともに、

幾多の事変、戦いの武勲を見守ってきました。

 

そして、

昭和20年6月23日の沖縄戦終結の日、

第二四師団司令部壕の中で、

師団長雨宮巽閣下のもと、

豫州健児が武勲を語り継いできた、

歩兵第二二聯隊の軍旗は奉焼されました。

 

その様子の県民唯一の見届け人、 

白石直之氏。

氏は、昨年、8月17日軍旗拝受日にご参拝頂きましたが、本年6月19日、戦友のもとへと旅立たれました。

心からご冥福をお祈り致しますとともに、

その武勲を後世に語り継ぐことをお誓い申し上げます。

 

(昭和20年6月17日、吉田聯隊長以下、第一、第二大隊全滅時が松山聯隊玉砕の日とするが、小職は軍旗奉焼日を以て玉砕の日としたい)

 

(つづく)

コメント / トラックバック10件

  1. 田舎の火消し より:

    先人が守り伝えんとした遺産は当時の事を物語る貴重な財産です。
    先月のこと、消防車庫の大掃除をしていたら戦前の消防旗(正式には警防団旗)が出てきました。
    竿頭には旭日章、所謂「桜の大紋」が付けられており、当時は警察の管理下であったことを知ることができます。
    現在は、目立つところに掲げて本来の目的である士気高揚の一役を担っています。
    遺産は歴史を語っています。
    「桜の大紋」見て曰く、「おまんら許さんぜよ!」
    平成生まれの皆さん、歴史遺産を見るような客観的視線で見つめないで下さい!
    私も平成生まれからしてみると「昭和の遺産」なのでしょうか・・・。

  2. 北条ヒロシ より:

    唯一の地上戦となった沖縄戦終結が66年前。
    そして無条件降伏へ。
    軍旗の奉焼は敵に取り上げられたくないからなのでしょうか。

  3. 末吉 より:

    田舎の火消し様
     
    こんにちは、お久しぶりですね。
    『警防団旗』とは、それまた貴重なものですね。
    大先輩方の汗と涙の結晶ですね。
    大切にしなきゃいけませんね。。。
     
    『桜の大紋』がついているのは、
    警防団は、警察と消防の補助組織(今で言う消防団)だからでしょう。
    いずれにしても、ずっと大切にしなくてはいけませんね。
    おっしゃるように、
    昭和の貴重な財産です。。。
     
    『おまんら許さんぜよ!』
     
    小職もテレビに噛り付いて見てました。。。
    あの頃はよかったなぁwww
    いいじゃないですか、
    『昭和の遺産』と呼ばれても。。。
    そう言われるのも、ある意味オツなものですよ。。。

  4. 末吉 より:

    北条ヒロシ様
     
    『天皇陛下』
    その言葉すら軽々に発することのできなかった時代、
    陛下から賜ったものを敵軍に奪われることは、
    絶対にあってはならなかったのでしょう。
     
    武装解除のとき、
    兵器の菊のご紋を削って消したのも、
    そのためですね。。。

  5. 鳥澤美子 より:

    私は戦後22年生まれです。96歳になる父から今になって初めて父の戦争体験を真剣に聞く機会を得ました。とても沢山の話でどこから理解していいのか分かりません。しかしこの過酷な戦争体験を後世に伝えなければと思いましたが、手段がわかりません。
    父は山形歩兵32連隊に入隊しました。軍旗を高く担いで(父ではありません)中国の川を行進する写真があります。
    父はこの軍旗が後に沖縄に渡り焼失した軍旗だと話してくれました。沖縄で焼失した軍旗は一つではないのでしょうか?
    昭和12年ごろの山形歩兵32連隊の生存の方はいらっしいますか?連絡がとれれば父が喜びます。

  6. 末吉 より:

    鳥澤美子様
     
    初めまして。
    投稿担当の末吉と申します。
    このたびは閲覧並びにコメントありがとうございます。
    改めて感謝申し上げます。
     
    さて、
    先ずは御尊父様に、
    日本のため、
    御家族様のため、
    末吉たち後世のために、
    戦って下さってありがとうございました。
    心から感謝申上げます。
     
    戦争体験を後世に伝えることは大切な事であります。
    戦争は、
    血と汗と涙が流れるだけで、
    後に残るのは、
    悲しみと憎しみでしかない・・・。
    だからこそ、
    戦争は二度と繰り返してはならないのです。
    御祭神が増えることがあってはならないのです。
    そのことを一番よくご存知なのが御尊父様のような戦場に行かれた方々であり、御遺族様であるのです。
    鳥澤様のそのお気持ち、よくわかります。
     
    先ず最低限知っておかなければならないのは、
    御尊父様の所属部隊である山形聯隊のことであります。
    ご提案ですが、山形縣護國神社(山形市薬師町2-8-75)にご参拝され、お話をお聞きするのは如何でしょう?
    地元のことは地元にお聞きするのが一番だと思います。
    また、
    歩兵第三二聯隊の戦友会がまだあるかもしれませんので、それもお尋ねされてはいかがでしょうか?
    解散していても、もしかしたら御生存の戦友の方がいらっしゃるかもしれませんので、それも尋ねられるといいと思います。
     
    ちなみに、
    軍旗は各連隊にありましたので、
    記事掲載の松山聯隊のものだけが沖縄で奉焼されたわけではありません。
    ご参考にご覧ください。
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A9%E5%85%B5%E7%AC%AC32%E9%80%A3%E9%9A%8A
     
    また、
    こちらも参考になるかもしれません。
    [証言記録 兵士たちの戦争]沖縄戦 住民を巻き込んだ悲劇の戦場 ~山形県・歩兵第32連隊~
     
    http://cgi2.nhk.or.jp/shogenarchives/bangumi/movie.cgi?das_id=D0001210018_00000
     
    何かご不明な点がありましたら、
    当社のメールアドレスに末吉宛とご記入いただきご連絡いただければ、
    ご返信させて頂きます。
     
    とりとめのないコメントになりましたが、
    皆様方の御健勝と御多幸を心からお祈り申し上げます。
     
    御尊父様に、
    呉々も御礼をお申し上げ下さい。

  7. 鳥澤美子 より:

    末吉様
    ご返信ありがとうございます。
    お教えいただいた参考資料を取り揃えて、勉強してみます。
    又、連絡させて頂きます。

  8. 末吉 より:

    鳥澤美子様
     
    ご返信有難うございます。
    記事を読んで頂きコメントを頂戴することは、
    本当に嬉しい限りであります。
     
    大東亜戦争につきましては、
    末吉も未だ勉強中でありますが、
    現段階では、
    先ずはご存命の方々にお話しをお伺いしておかなければならないと思います。
    自然の摂理とはいえ、あと10年もすれば、もう話を聞くことすらできなくなってしまいますから・・・。
     
    少しお調べしたのですが、
    山形県御出身の軍人さんは素晴らしい方々ばかりですね。
    そのおひざ元の山形聯隊の方々も精鋭部隊だったのでしょう。
    終焉は松山聯隊と同じ沖縄でしたが、
    今こうして鳥澤様と末吉がやり取りしていることは、
    御祭神とのお導きではないかと思います。
     
    浅学菲才でありますが、
    何かございましたらご遠慮なく連絡してくださいね。
    時節柄 呉々もご自愛下さい。

  9. 鳥澤美子 より:

    末吉様
    あれから父が書いた手記を読み末吉さんが、見ず知らずの父に対し
    感謝の気持ちを表していただいた事の意味が少し分かりました。
    父をはじめ兵隊さんは勿論あの時代を生き抜いた(戦争で亡くなった方も含め)すべての人達のお蔭で今がある事に改めて感謝したいと思いました(少し遅いですね)
    やはり、真実の戦争体験は正確に後世に伝えていかなければなりませんね。
    勉強し又連絡させて頂きます。

  10. 末吉 より:

    鳥澤美子様
     
    コメントありがとうございます。
    末吉の出勤日には更新するよう心がけておりますが、
    なにぶん文才がないものが書いておりますので、
    継続は力なりとみなさんに言い張っておりますw
    その記事をご覧いただきコメントを頂戴すると、
    嗚呼読んで下さる方がいらっしゃるんだ、有難いことだ。
    と感激は一入であります。
    本当に有難うございます。
     
    さて、
    御尊父様の手記をお読みになられたとの由、
    それは子々孫々貴重な財産になりますので、
    大切になさってくださいね。
    (機会があれば末吉も是非拝読したいです。)
    現在は「永遠のゼロ」や
    来たる平成27年「終戦七十年」の節目を迎えることから、
    多くの書籍などが出ております。
    しかし、
    どれをとっても、
    真実とはかけ離れたものばかりで、
    ややもすれば、
    一体どこの国の本なんだ?と思うほど、
    日本が賊軍といわんばかりに書かれてあります。
    マスコミにしても然りw
     
    情報操作に惑わされず、
    鳥澤様のおっしゃるように、
    大東亜戦争で戦った方々がいらっしゃったからこそ、
    現在の平和な日本が享受されていることを、
    改めて知る必要があるのです。
    そのためには、
    一番身近な方々にお話をきくことからはじめるのがいいと考えます。
    遅い早いは問題ではなく、
    知っているか、知ろうとしているか、
    そこが問題なのではないでしょうか?
     
    歴史を紐解くことは大変なことでありますが、
    一つ一つを知ることで、
    きっと日本人であることを誇りに思うはずです。
    末吉もまだまだでありますので、
    お互いがんばりましょうね(⌒▽⌒)

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