末吉、愛媛零戦搭乗員会慰霊祭を語る
カテゴリー: 護國日誌
2011年12月12日 月曜日

『元気な日本をとりもどそう!』

 

 

本日2度目の登場、

『人生楽笑』末吉です(⌒▽⌒)

 

昨日は、ご参拝が多くあり、

また、お正月の準備やお買い物で走り回っていましたので、

大変遅くなりましたが、、、

 

昨日、

『愛媛零戦搭乗員会慰霊祭』が午後2時から斎行されました。

 

先ず、

全員で大東亜戦争全戦闘機搭乗員に対し黙祷を捧げました。

そしてお祓い。

当時を知る方々と同じくらい若い世代の方々もご参拝いただき、

全員で約50名ほどのご参列を頂きました。 

次に小川宮司の祝詞奏上です。

今回の祝詞は、

零戦誕生からはじまり、

種々の戦闘で多くの方々が散華されたことを、

奏上申し上げました。 

次に、

愛媛零戦搭乗員会 藤本速雄前会長様の祭文です。

 

おそらく、零戦のことを全く知らない末吉のような世代でも、

この祭文を聞くと、

その大半がわかったのではないでしょうか?

末吉も謹んで磬折しながら聞いておりました。

 玉串拝礼は、

上の写真、左から、

愛媛零戦搭乗員会 保田基一会長様、

愛媛零戦搭乗員会 藤本速雄前会長様、

自衛隊愛媛地方協力本部愛媛募集課長 鏡 俊彦2等海佐様

の順にして頂きました。

そして、

英霊となられた方々に対し、

同期の桜と海ゆかばを奉納致しました。

 

末吉、どちらも知っておりますので、

精一杯歌わせて頂いたのですが、

万感胸に迫るものがありました。 

 

慰霊祭終了後、神門前で記念撮影。

 

久しぶりにお会いになられたのでしょう、

末吉が写真を撮り、

『他にカメラがある方はお申し出下さいね。』

と言うと、

『これもお願いします。』

『こっちもいいですか?』

と、

7、8台のカメラを預かりました。

 

並んでいる方々は、

5分程、爽やかな笑顔をお願いしたのは言うまでもありません。

 

最後のほうになると、

だんだん疲れてましたけどwww

 

そのまま解散するのかな?

と思っていたのですが、

境内にある零戦のプロペラに集合し、

当時の搭乗員、整備兵の方々からお話を聞いておりました。 

 

 

末吉は残念ながら、

最後までお話をお聞きすることが出来ませんでしたが、

みなさん、知ってました?

零戦の由来。

 

皇紀2600年(昭和15年)に完成したのが零戦。

しかも、

『ぜろせん』ではありません。

『れいせん』です。

 

したがって、

本日の慰霊祭の正式名称を平仮名にすると、

『えひめ れいせん とうじょういんかい いれいさい』

となるわけです。

 

大戦中、

大空を國の威信をかけて飛び回り、

当時無敵と呼ばれた零戦をはじめ、

多くの戦闘機に乗って散華された英霊に対し、

改めて慰霊申し上げます。

 

本日ご参拝くださいました皆様方、

本当にありがとうございました。

 

最後になりましたが、

海上自衛隊の鏡2等海佐様と少しお話をさせて頂いたのですが、

現在、自衛隊では、

極東アジア情勢が日増しに緊迫化してくる昨今にあって、

この日本を守り、

この日本の平和と安寧を矜持していくための、

国防を担う若き隊員を募集しているそうです。

 

我こそはと思われる方、

是非、

自衛隊愛媛地方協力本部へご連絡してみてくださいね。 

 

  

~今日の予定~

 ①愛南町遺族会内海支部正式参拝 午前10時30分~

   

~明日の予定~

 ①飯積神社氏子一同正式参拝 午前10時

 ②正月こと始

 ③大安です

 ④末吉、お休みです

    

~明後日の予定~

 ①特にありません

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