末吉、上浦町遺族会慰霊祭を話す
カテゴリー: 護國日誌
2012年3月13日 火曜日

こんにちは、

人生楽笑(じんせいらくしょう)末吉(すえきち)です(⌒▽⌒)

 

昨日と打って変わって、

非常にいいお天気ですね。

 

今朝の桜も一気に花開きました。

あぁ~・・・春だなぁ・・・。

 

さて、

本日は、午前10時30分から

『今治市上浦町遺族会慰霊祭』が斎行されました。

上浦町は瀬戸内海に浮かぶ島の町で、

伊予国一宮大山祇神社の隣の町です。

修祓のあと、

小川宮司の祝詞。

  

お代表、

上浦町遺族会会長 金子昭一氏(かねこあきかず) 

御神前に玉串を奉奠し、 

全員でご拝礼頂きました。

 

全てが終了し、

退下されるときに一礼するのですが、

じ~っと御神前を見つめ、

『うんうん・・・。』

と、うなずかれる方がいらっしゃいました。

 

英霊となられた御祭神と何をお話されていたのでしょう。

見ていた末吉も胸に迫るものがありました。

 

今後益々の英霊のご加護がありますよう

改めて御祈念申し上げますとともに、

上浦町遺族会の皆様方のさらなるご健勝を心よりお祈り申し上げます。

 

本日のご参拝、本当にありがとうございました。

 

 

~本日の予定~

①上浦町遺族会慰霊祭 午前10時30分~

  

~明日の予定~

①肱川遺族会慰霊祭 午前10時~

②末吉、お休みです

     

~明後日の予定~

①中旬祭 (神社祭事)

コメント / トラックバック10件

  1. 清麿 より:

    末吉さん 日々の お勤め 御苦労様です 遺族会の慰霊祭…小生も幼い頃 亡き祖父に、連れられ縣護國神社に、来てました、そういえば祖父も祭神となられた。長男『小生にとって叔父』に,何か語りかけてましたね 姿は、見えねど 通じるもの有るのでしょう…叔父の弟の父も 縣護國神社の神前に,何か語りかけてます…通じるものが有るのです…少しずつ 春めいて来ましたね 小生の地元の氏神様 大洲の八幡宮の春祭りも25日 小生も御手伝い等致します… 縣護國春季慰霊大祭 少しずつ近づいて来ました。 今年も,父と小生 参列 致します 私事で 恐縮ですが 先月 愛媛縣護國神社崇敬奉賛会 入会 致しました。遺族としての,責務と心得と,思っております宜しくお願いいたします

  2. 末吉 より:

    清麿様
     
    こんにちは。
    コメントありがとうございます。
     
    末吉、皆様方によくお話するのですが、
    護國神社、靖國神社の社頭は、
    唯一、
    英霊とご遺族の方とがご対面できる場所です。
    涙を流し、
    うなずき、
    独り言のように話していても、
    誰も文句を言わない場所であります。
    そのような崇高なところでご奉仕できることは、
    本当にこの上ないことです。
     
    おっしゃられるように、
    当社の春季慰霊大祭が日に日に迫ってまいりました。
    精一杯、ご奉仕させていただきますので、
    是非ともご参列お待ち申し上げております。
    その時は末吉にもお声掛け下さい。
     
    また、崇敬奉賛会にご入会頂いたとの由、
    心から感謝申し上げます。
    今後、いろいろな活動があろうかと思いますので、
    そちらも是非ご参加下さいね。
     
    氏神様のお手伝いとのことですが、
    もしかして、雅楽でご奉仕されるのでしょうか?
    日頃の練習の成果を発揮するときですね。
    頑張ってください。
     
    末吉、
    幼いころから大洲は何度も行っておりました。
    体が弱く、今ほど小児科や夜間救急がなかったので・・・
    ここ数年、行っておりませんので、
    今年は久しぶりに足を運んでみようと思います。。。

  3. 清麿 より:

    末吉さん お疲れ様です 今夜は、春の雨 季節を進める 雨ですね 縣護國神社 春季慰霊大祭 の頃には、桜の花も 見頃に,成るのかな? 去年の春の 大祭は、見頃でしたね             小生が 幼い頃…確か 昭和48年 頃かな?亡き祖父が 育てた。御衣黄と言う 桜の苗 2本を 祖父が 縣護國神社に,寄進しまして,当時の宮司様と 祖父が 社務所で 世間話を してたのを 昨日の様に,思えます 祖父の お供した時の 光景です… 氏神様 八幡宮の春祭りは、御神楽と 雅楽の奉納です 小生も不細工ながら 頑張ります! 末吉さんも 是非とも 大洲に,いらして 下さいませ 静かで のどかな 城下町です

  4. 末吉 より:

    清麿様
     
    いつもコメントありがとうございます。
    春季慰霊大祭頃に満開になるであろう桜は、
    『ソメイヨシノ』『ヤマザクラ』です。
    年によっては、
    大祭のころに満開か葉桜、
    本当にまちまちなのですが、
    今年は満開になりそうな気配ですね。
     
    『御衣黄』ですか?
    そんな思いで深い桜があること、
    末吉は全くしりませんでした。
    個人名で御寄進されたのでしょうか?
    それとも
    部隊名で御寄進されたのでしょうか?
    もしおわかりなら、
    現在の写真なども掲載したく思いますので、
    是非ご連絡下さい。
     
    氏神様では、
    御神楽と雅楽のご奉仕とのこと、
    頑張ってください。
    練度もさることながら、
    神様に御奉納するというそのお気持ちが、
    一番大切だと末吉は思います。
     
    大洲へは、近々に必ず行きますね。
    稲荷公園や大洲城、肱川の花火など、
    見るところもたくさんありますからねぇ。
    幼き頃、病院とフジしか行くことがありませんでしたので、
    今になって行けるところ、
    行ったことがないところを是非散策したいと思います。
    伊予の小京都、大洲。
    いいところですからね。。。

  5. 清麿 より:

    末吉さん お疲れ様です 小生も 年度末で 土曜日の休みも 返上で 踏ん張りました。… 『御衣黄』と言う 桜は、 ソメイヨシノより 開花が遅い 八重桜の一種で、開花して、すぐは、黄緑で 時間がたつと,ピンクに 変わります… 小生の 記憶では、亡き祖父の個人名で苗木を,高岡 菊三郎で 寄進しまして、 当時の宮司様と 祖父の会話を 憶えてますが 一本は、護國神社に もう一本は、松山城の麓の 東雲『しののめ』神社だったかな? 植えたいのですか…と,宮司様 祖父 どぅぞ どぅぞ 神前に,植えて 頂いたら 光栄です… ですから 無事 育っていれば 一本は、縣護國神社の何処かに、… 有ると 思います 亡き祖父の本業は、宮大工 指物大工 建具職 明治生まれの 頑固な 職人でしたが 趣味の 植木は、穏やかな 顔つきに、成りまして 地域の神社は、勿論 靖國神社にも 桜の苗木は、届けた記憶が 有ります … 孫の小生も 榊 橘 オガタマの木 ナギの木 桜 桃 趣味で 挿し木から 育てます それから 縣護國神社の祭神と成られた 叔父も 植木や 園芸の趣味も 有ったと伝え聞いてます 明日は、雅楽の練習です 奮闘します…

  6. 末吉 より:

    清麿様
     
    連日のコメント、ありがとうございます
     
    そうなんですよねぇ、
    年度末なんですよねぇw
    清麿様もそうであるように、
    みなさん孤軍奮闘されているこの時期。
    ただ一つ、道路工事が多すぎるのだけは困ったものですw
     
    さて、
    御衣黄桜の件ですが、
    当時を知る者がいないので
    資料や石柱を調べてみたのですが、
    これというものが残念ながら見当たりませんでした。
    もっと深く掘り下げて確認するとわかると思うのですが・・・。
    上司にお聞きしたところ、
    おそらく神門前にあるどれかじゃないかということでした。
    今のところそこまでしかご回答できませんw
    靖國神社、東雲神社へも御寄進されたとのことですので、
    折あるときにお伺いしてみますね。
     
    御爺様が宮大工だったとのことですが、
    昔の職人さんは末吉も憧れます。
    作ったものが形になってずっと残るのは、
    すばらしいことです。
    現在ではある程度機械でできますが、
    社寺仏閣だけはやはり職人さんが一から手ですべきと思っております。
     
    清麿様もいろいろとされるようですが、
    末吉は植物関係には長けておりませんのでそちらも少しずつ勉強しようと思います。
     
    本日は雅楽の習礼の日ですね。
    お祭りが近くなってまいりましたので、
    気合を入れてがんばりましょう!

  7. 清麿 より:

    今日は、ゆっくり休めましたか? 『御衣黄桜』の件では、護國神社の境内 調べていただいたとの事 有難うございます 何分 昔の事ですから… 小生も 今度の 春季慰霊大祭で 伺った機会に、桜の 木を見て回ります!それから 末吉さんにも 御挨拶 致したく思います 宮大工をしていた 祭神の叔父の父で 小生の 祖父は、戦前は、大分県の方に親類も有り 大分県の 神社の建築や修理 戦中の昭和17年に 西予市 大野ヶ原の 龍王神社の本殿 拝殿 建築戦後は、宇和島城の 解体修理 等 しました 大部分は、神社建築が 多かったみたいです 指物大工もしてましたので 神社で使う 八足案, 曲げもの=お敷き お光りを 灯すボンボリ 葛籠 神職の持つ笏 木を使う物は、何でも あとは、漆も扱いましたので 神職のはかれる 沓のはげた漆の修理など 当時の 田舎の 神社の宮司様は、頼りにしてたみたいです 今は、その様な職人は、居ないでしょう 今度の 氏神様の 春祭りの雅楽=篳篥 なんとか 頑張ります

  8. 末吉 より:

    清麿様
     
    こんにちは。
    昨日は有意義な休日を過ごさせて頂きました。
    さて、
    春季慰霊大祭にご参列いただけるとの由、
    大変有難く思うと同時に、御祭神もさぞお喜びになられることでしょう。
    またその折、境内の桜をご覧いただけるとのこと、御衣黄桜がわかればいいのですが・・・
    いずれにしても、お会いできることを心待ちにいたしております。
    さて、
    御爺様の偉業の数々、すごいですね!
    龍王神社の宮司様は、頻繁にお目にかかり、そのたびにお世話になっております。今度お会いしたときに、お話してみますね。
    そのほかにも、大小さまざまなお仕事をされていたとの由、末吉は本当に憧れます。
    特に神社の調度品などは、ものすごく繊細な作業になります。末吉も何度かチャレンジしてみたのですが、素人では到底無理ですwそれどころか漆までとは・・・
    本当にすごいなぁ・・・
    確かに、今そのような方をお探ししようと思っても、
    絶対に見つからないでしょうし、そのような腕をお持ちの方もほとんどいらっしゃらないでしょう。
    清麿様、是非自慢してください。。。
     
    篳篥は三管の主役ですね。
    日頃の練習通りにできればきっと大丈夫ですよ。
    自信をもって頑張ってくださいね。
    ご報告、お待ちいたしております。

  9. 清麿 より:

    末吉さん 昨日の 書き込みは、長々と成りました。申し訳ございませんです 我が家の 出跡は、西予市の 大野ヶ原の 龍王神社の麓の 小屋地区でして 現在は、小松地区 我が家の代々の奥津城は、そちらに有ります 龍王神社の宮司さんは、今城 早人様 てしたね 現在の宮司様の お爺様の 今城 正盛 様は、亡き祖父の 親友で 我が家が出跡に 在住の頃『父の代』 お爺様には、護國の祭神の叔父をはじめ 先祖の式年祭も お願いして居りました。 御無沙汰して 申し訳なく 宜しく 御伝え下さいませ 春季慰霊大祭には、各 御祭神の御霊 叔父の御霊に 拝礼出来る 事を 心待ちに致して居ります

  10. 末吉 より:

    清麿様
     
    おはようございます。
    末吉は長くても短くても、
    コメントを頂戴できるだけで嬉しいので、
    お気になされないでください。
     
    さて、
    龍王神社ですが、
    恥ずかしながら末吉はまだ参拝したことがありません。
    今年こそ・・・と思いながら、
    なかなかお参りできずにいますw
    以前にもお話致しましたが、
    今城宮司様にはよくお世話になっておりまして、
    少なくても2カ月に1度は顔を合わせます。
    きっと今城宮司様も御存知のはずですので、
    お会いしたときにお伺いしてみますね。
    春季慰霊大祭、
    当社の御祭神四万九千七百二十二柱を
    慰霊顕彰、鎮護慰藉するお祭りです。
    御祭神に縁の深いご遺族の方々、血縁の方々がご参拝いただけることが、一番お喜びになられることです。
    末吉もお会いできることを心待ちにしております。

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