末吉、慰霊祭を話す
カテゴリー: 護國日誌
2012年4月22日 日曜日

愛媛縣護國神社裏千家流茶道教室

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(詳しくはコチラをクリック)

初回稽古日  5月12日 13時~17時(森光宗芳先生)

第二回稽古日 5月13日 10時~15時(江戸宗禮先生)

 

中国版マナー本が支那国内でベストセラーになっているそうだ。

その一部を日刊SPA!が紹介していた。(以下、日刊SPA!添付http://nikkan-spa.jp/195770

上海でベストセラーとなっている若者向けのマナー本『别说你懂职场礼仪』。日本語に訳すと「それでビジネスマナーを知ってるつもり?」的なニュアンスになるのだが、まあ、これが大層、おもしろい。 序章で、『兴于诗,立于礼,成于乐』(詩に興り、礼に立ち、楽に成る)、『不学礼、無以立』(礼を学ばざれば、以て立つこと無し)といった『論語』の一説を引用。礼儀の大切さを説きつつ、初対面の人との挨拶やお茶の出し方など、具体的に○×でマナーを説いているわけだが……。

例えば、名刺交換。

「名刺の名前を相手のほうへ向ける」「両手で渡す」「名刺交換する際、自分の手は相手より下に」なんてのは、日本でも真っ先に教えられる基本の動き。が、それだけでは終わらないのがかの国で。「名刺をズボンのポケットにいれてはいけません。」「名刺をもてあそんではいけません。」etc.……。

【画像】はコチラ⇒http://nikkan-spa.jp/?attachment_id=195776

その他、「人を紹介するときに指を刺さない」「握手するときに手の平を下に向けない」など、思わず「そっからかよっ!」と突っ込みたくなるご指南が満載。

横行闊歩だといわれるお国柄が変わるのには、悠久の時が必要か? <取材・文/小山武蔵>

 

これだけでも、世界に通ずる常識のなさが見て取れる。

極東アジア情勢が日々緊迫化している中にあって、あれこれ自己中心的な主張を繰り返す前に、先ずは自国内のマナー向上から始めてもらいたいものだ。これでよく『常任理事国』の一国が務まるものだと不思議でならない。

 

こんにちは、

人生楽笑(じんせいらくしょう)末吉(すえきち)です(⌒▽⌒)

 

本日の慰霊祭は『愛媛甲飛会』の皆様方です。

午前11時からの斎行でした。

振り返れば、昨年の慰霊祭での出来事。

末吉 『あのぉ~、甲飛会の正式名称は何と言うのでしょうか?』

甲飛会の方1 『甲種の豫科練ですよ。』

甲飛会の方2 『ちがうちがう!正式には、海軍がつくんじゃ!』

甲飛会の方3 『ちがうじゃろ!元海軍じゃ!』

甲飛会の方4 『それを言うなら、元大日本帝国海軍じゃろが!』

甲飛会の方5 『そこからなら、ちゃんと教えんといけまいが!』

だんだん収拾がつかなくなってきて、最終的には、

甲飛会事務局の方 『元大日本帝国海軍甲種飛行豫科練習生です』

それでも、慰霊祭中、あちこちで火種がくすぶる・・・くすぶる・・・。

発端が末吉の発言からだっただけに、

なんとも申し訳ないような・・・

 

でも、懇親会になると、

みなさん、手と手を取り合い、

また来年も参拝しようと誓い合って別れておられました。

 

あれから一年。 

若い血潮の豫科練の~七つボタンは櫻に錨~♪

知る人ぞ知る、「若鷲の歌」(通称 豫科練の歌)を口ずさみながら、

今年も『昔若鷲』がご参拝下さいました。

甲飛会の人1 『昔は300人以上いたが、いまじゃ36人になってしもうたわい』

甲飛会の人2 『いやぁ、もうちょっとおったじゃろう』

甲飛会事務局の方 『300人以上、現在約30名です』

 

今年もあれこれ言いながら、定刻となりました。

修祓、祝詞奏上の後、

玉串拝礼は、

藪 福雄(やぶ ふくお)会長様の代行で、

戸板スナオ様(漢字をお聞きすることができませんでしたw)

そのあと、

全員で『海ゆかば』を斉唱、御奉納致しました。

もちろん末吉たち神職も一緒に斉唱致しました。

慰霊祭が終わる頃になると、

降っていた雨も上がるほどになりました。

最後に、本日の参拝者全員で記念写真。

『来年は何人参拝できるかなぁ~・・・』

遠くを見つめながらそうつぶやかれた声が聞こえたとき、

少し切ない気持ちになりました。

 

でも、末吉は、

来年も皆様おそろいでご参拝頂けることを、

英霊とともにお待ち申し上げております。

本日のご参拝、

本当にありがとうございました。

 

 

~本日の予定~

①愛媛甲飛会慰霊祭 午前11時~

   

~明日の予定~

①末吉、お休みです。

      

~明後日の予定~

①和霊神社春季大祭 午前10時~

コメント / トラックバック2件

  1. 本日の”神社だより”涙が出そうでした。
    身近に戦没者はいませんが、5歳まで呉市に在住、
    父が海軍工廠に勤務していて、原爆投下の記憶の後終戦、
    郷里に帰省、最近まで戦艦大和の写真、文鎮がありました。
     父の存命中にこのような機会に参拝させてあげれば、
    良かったのに残念でなりません。
     本日のご参拝者の皆様が長生きをされますように、
    心からお祈りしています。

     末吉さん 素直な良い文章になりましたね。

  2. 末吉 より:

    タツノオトシゴ様
     
    おはようございます。
    いつもコメントありがとうございます。
     
    呉工廠のことは末吉も祖父からいろいろ聞きました。
    もし御尊父様がご健在であれば、もっと末吉もお話がお伺いできたのにと、生まれた時代が遅かったことを悔やみますw
    愛媛甲飛会の皆様方があれこれいいながら、最後はお互いの健勝を祈るその姿は、英霊を偲び、当時を想い、思い出に触れることができる唯一の時間であり、まるで子供のようにさえみえます。
    青春真っ只中を戦争という時代に生き、復員されたからこそ、その当時に思いを馳せるとそうなるのでしょうね。
    自然の摂理とはいえ、
    年々会員の皆様方、ご遺族の方々が少なくなっていくのは、非常に残念なことです。
    だからこそ、
    当時のことをお聞きし、それを次の世代に語り継がなくてはならないと・・・それが末吉たちの使命であると思っております。
    お褒め頂くにはまだまだ未熟者ですので、
    今後ともご鞭撻のほど、よろしくお願い致します。

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