末吉、ゲリラを話す
カテゴリー: 護國日誌
2012年8月20日 月曜日

愛媛縣護國神社裏千家流茶道教室

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(詳しくはコチラをクリック)

第十五回稽古日 8月25日 13時~17時(森光宗芳先生)

第十六回稽古日 8月26日 10時~15時(江戸宗禮先生)

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おはようございます。

人生楽笑(じんせいらくしょう)末吉(すえきち)です(⌒▽⌒)

 

お盆の帰省も昨日で落ち着いたようですね。

慌ただしくも充実した連休だったことと思います。

そのせいもあってか、

昨日の参拝は普段の週末に比べ少なかった気がします。

それら相まって、末吉はおサボりよろしく

大切な友人から頂いた『缶ピース』をありがたく燻らせているとき、

神様の逆鱗に触れましたw

 

急に、

『ゴロゴロゴロゴロ・・・・ピカッ!ドッカーン!』 

をいをい!ちょっと近くない?

 

慌てて外を見てみると、

午後2時半というのに外は薄暗い状態w

これは一雨くるなぁ・・・と思っていた矢先、

『ポツポツ・・・ザーッーーーーゴーーーーーーッ!』

 

はい~????

いつもとちょっと音が違う!

ちょっと危ないかもしれないw

と、慌ててご本殿に急行すると、

ものすごいことに!!!

すでに拝殿の周りは水たまり・・・いや、池と化し、

雨どいが水をはくことができず、

屋根のいたるところから滝のように流れていましたw

久しぶりの登場(チラ写りですがw)弥生巫女もあまりの凄まじさに右往左往w

 

そう、

俗にいう『ゲリラ豪雨』の来襲ですw

たった30分の間の豪雨だったのですが、

その凄まじさに、ただただ通り過ぎていくのを祈ることしかできませんでしたw

 

通り過ぎた後、すぐに境内を巡視。

今朝は普段と全くかわらない水位の大川ですが、 

昨日は、

これでも少し水位が下がってますw

 

神社前の駐車場では、

奥に見える車のタイヤ半分ほどまで雨水がきましたw

 

参道はご覧のとおり川となっており、

危険を察知した車が引き返してくるほどw

自然の猛威になすすべがないとはまさにこのこと。

 

しかしながら、

境内や建物に被害が全くなかったのは幸いでした。

  

末吉のおサボり・・・今後自粛しようと心に決めましたm(_ _)m

 

 

~本日の予定~

①ソ連軍侵攻により樺太真岡女子電話交換手九名自決(昭和20年8月20日)

   

~明日の予定~

①末吉、お休みです

        

~明後日の予定~

①特にありません

コメント / トラックバック2件

  1. S より:

    8月は「北方領土返還運動全国強調月間」で
    各地で啓発活動が行なわれています。
    以下関連したお話しを紹介します。

    占守(シュムシュ)島は最近の方はご存じないと思いますが、
    日本が終戦した日から2日後の昭和20年8月17日、
    千島列島の北端の占守島に侵攻した
    ソ連軍を完膚なきまでに叩き、
    死守した戦いです。8月23日は、
    占守島の日本軍が正式に武装解除された日です。
    平成20年に刊行された、
    内容的に大変素晴らしいご本をご紹介します。

    『8月17日、ソ連軍上陸す―最果ての要衝・占守島攻防記』
    大野芳著 新潮社1600円(税別)です。
    戦闘の詳細に加え、占守島の地誌、
    日本との関わりとその歴史、
    またソ連軍侵攻にいたる戦局や、連合国・日本軍の動きも紹介し、
    戦闘開始から終結までを数少ない生存者や
    その遺族への直接の取材、更に日ソの資料文献などから
    抽出し明快に書かれています。ぜひ、ご一読下さい。

    守備隊は、終戦の報を聞いて、
    内地への帰還準備や砲や弾薬・武器などの取り外しなどに
    追われてる最中に、ソ連軍は突如隙を突くかのように、
    攻撃を加えてきます。
    島を管轄する第五方面軍(司令官・樋口季一郎中将)は、
    諸般の情況を充分に承知認識した上で
    「断乎、反撃に転じ、上陸軍を粉砕せよ」との命令を下します。

    命令を受けた守備隊は、
    取り外した砲や弾薬など武器などなどを
    瞬く間に再装して反撃に転じます。
    有名なのは戦車連隊で、指揮官の池田連隊長は散華します。
    また他の陸軍部隊も停戦命令が出されるまで、
    上陸軍を釘付けにします。
    激しい銃撃戦の最中でも、「衛生兵や負傷者は撃つな」との(上官か仲間からの)
    声がだされたとの生存者の感動的な証言を紹介しています。
    敗戦した軍隊かと思うほどの軍規の高さ、高貴な人間性の発露です。
    また、陸海軍航空部隊も攻撃に加わりました。
    著者によると、陸軍は戦闘機「一式戦闘機隼」、
    海軍は「九七式艦上攻撃機」で、いずれも爆弾を装置し、
    敵ソ連軍の駆逐艦や輸送船団に果敢に爆撃を敢行し
    甚大な被害を与えたと記しています。

    日本陸海軍将兵の勇戦敢闘振りは日本軍の資料や生存者だけではなく、
    ソ連軍の文献資料にも記されており
    著者がいくつか紹介しています。
    この戦いがソ連軍の千島列島全体の占領を遅らせた最大の要因であり、
    仮に占守島で日本軍が抵抗もせず一方的に蹂躙されていたら、
    北海道がもっと早く侵略の危機に瀕した
    というような結論を導き出しています。

  2. 末吉 より:

    S様
     
    大変ご無沙汰いたしておりますが、お変わりありませんか?
    占守島については、恥ずかしながら末吉も数年前までしりませんでした。
    もちろん、実効支配されている日本領土の一つということも含めてですが。
    第五方面軍樋口中将のお話は幾度か見聞きしたことがあります。しかしながら、まだまだ全体像をおぼろげにしか勉強しておらず、未だ無知に近い状態であります。
    折角ご紹介頂いたので、早速本を探して読んでみたいと思います。
    ご紹介ありがとうございました。
    まだまだ残暑厳しい折柄ですので、くれぐれもご無理をなさられないようお気を付け下さい。

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