末吉、大分旅行?(散策編)を話す
カテゴリー: 護國日誌
2012年11月9日 金曜日

愛媛縣護國神社裏千家流茶道教室

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第二十五回稽古日 11月17日 13時~17時(森光宗芳先生)

第二十六回稽古日 11月18日 10時~15時(江戸宗禮先生)

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女性宮家創設反対のパブリックコメント

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こんにちは。

人生楽笑(じんせいらくしょう)末吉(すえきち)です(⌒▽⌒)

 

本日は、

愛媛県神社庁松山支部の神宮大麻暦頒布始祭と、

愛媛県遺族会後継者・慰霊巡拝参加者及び女性部と英霊研修会に伴う正式参拝があり、

七五三の時期と相まって、

境内は多くの方々でいっぱいになっております。

 

~続きです~

 

言霊記念館を出て、

すぐ横に古い建物があるのに気づきました。

近寄ってじっくり見ていると、

その横に説明書きが。

『「弾痕の鉄扉」と工場内の防音壁」

旧第十二海軍航空廠高城発動機工場』

と記されておりました。

昭和20年3月大分初空襲からはじまり、

幾多の空襲、機銃掃射を守り抜いた

高城発動機工場の扉を移設したものだそうです。

愛媛県にも幾多の空襲があり、

当社を含め甚大な被害がありましたが、

時を同じくして大分県でも同じように空襲があり、

また、全国各地で空襲があったことを今更ながら改めて知り、

戦争の凄まじさをひしひしと感じました。

 

さて、

神門を出て境内をさらに散策すると、

天を指すようにそびえる大きな慰霊碑があります。

『大分県関係戦没者の慰霊塔』

右側に歩兵四七聯隊戦没者慰霊の『軍旗の碑』、

左側に大分県出身予科練戦没者慰霊の『鎮魂の碑』。

当社のような各部隊の方々が建立されたものではなく、

この場所で慰霊顕彰できることができるようになっております。

碑文はそれぞれ写真に撮ったのですが、

是非多くの方々に参拝し、

その由、直に見て頂きたくあえて控えさえて頂きますね。

 

そして、その反対側には、

『西南の役軍人墓地』があります。

明治十年、西南の役で没した二百十四柱の墓地で、

御祭神として御霊をお祀りしてあるそうです。

 

さらに奥に進むと見えてきたのが、

畏くも

『天皇皇后両陛下行幸啓記念碑』

 

『昭和四十一年十月二十二日、

大分国民体育大会開会式に行幸啓なさられた、

昭和天皇、香淳皇后両陛下が、

御本殿御親拝の後、この地に立たれ、

新産都工業地帯、市街地を御展望になられました。』

(大分縣護國神社ホームページ抜粋→http://www.oita-gokoku.jp/guide/index.html

 

畏れおおくも、

同じ場所にたってみました。

 

そこには、

言葉を失うほどの絶景が!!!

晴れた日には遥か四国まで見えるというその場所は、

大分市内、別府までもが一望できるとこでした。

海軍大分航空基地が

今は新興住宅地に変わり、

第五航空艦隊 宇垣纏司令官が最後に沖縄特攻に出られた、

その面影すら、今はもうここからはうかがい知ることはできません。

 

~次回へ続く~(次回は来週ですw)

 

 

~本日の予定~

①愛媛県遺族会後継者・慰霊巡拝参加者及び女性部研修会正式参拝

 午後0時45分~ 

②愛媛県神社庁松山支部神宮大麻暦頒布始祭 午後2時~

 

~明日の予定~

①大安です

 

~明後日の予定~

①祈願受付はご本殿です

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