末吉、富山丸戦歿者遺族会慰霊祭を記す
カテゴリー: 護國日誌
2013年6月23日 日曜日

愛媛縣護國神社裏千家流茶道教室

   ↑   ↑   ↑

(詳しくはコチラをクリック)

第五十四回稽古日 6月22日 13時~17時(森光宗芳先生)

第五十五回稽古日 6月23日 10時~15時(江戸宗禮先生) 

~~~○~~~○~~~○~~~○~~~○~~~○~~~ 

 

こんにちは。

人生楽笑(じんせいらくしょう)末吉(すえきち)です(⌒▽⌒)

 

本日は、

「伊予の肉弾部隊」と畏怖された

歩兵第二二聯隊二千七十七柱英霊をはじめ、

官民合わせて十万人とも十五万人とも言われる多大な犠牲をはらった

沖縄戦終結の日であります。

 

まずもって、

沖縄に向かい黙祷、最敬礼を致しました(合掌)

 

さて、

当社では、

午前11時20分から

愛媛県富山丸戦没者遺族会慰霊祭が執り行われ、

県内各地から40名余りにご参列頂きました。

 

上の写真が、ありし日の富山丸です。

昭和19年6月29日午前7時25分、

北緯27度43分、東経129度4分(徳之島亀津北東12キロ付近)において

米潜水艦スタージョン(SS-187)から四発の魚雷が発射され、

被雷した富山丸(7089総トン)に命中、船体中央部から真っ二つになり轟沈しました。

船員70名、を含む3730名(3680名とも3874名とも言われています)が散華されました。

一隻の船での死没者数に於いて戦艦大和、タイタニックより多いものであります。

 

当時、徳之島から轟沈の様子が見えたそうで、

すぐに救助隊が結成され現場に向かいました。

しかし、

沖縄に物資輸送のため積載していたドラム缶1500本の大半に引火、

現場に近づくことすらできなかったそうです。

生存者は300名ほどで、

徳之島陸軍病院、奄美大島陸軍病院だけでは収容しきれず

民間の手を借りて手厚く看護されました。

しかし、

大半が火傷を負い、

五体満足で退院した方々は30名ほどでした。

 

愛媛県富山丸戦没者遺族会 芳野勝三会長様と慰霊祭の前に少しお話を致しました。

『戦歿から69年、我々も歳をとりました。それでも今年も40名余りが慰霊祭に参加してくれました。愛媛県からは約300名余りが亡くなられております。全員とはいかないまでも、その大半の方々が御神前に集い、慰霊祭を行うことができれば・・・そして若い世代の方々がその意を受け継いでいただければと願うばかりです。』

そうおっしゃっておられました。

例年、希望者とともに徳之島に慰霊祭に行かれておられるそうです。

今でこそゆったりと船に揺られ海上を進むことができますが、

当時はそこが戦場であったことを忘れてはなりません。

 

来年は戦歿70年という節目の年となります。

ご遺族様をはじめ、多くの皆様方とともに、

英霊をお慰めするこができればと思います。 

本日のご参拝、

誠にありがとうございました。

皆様方のご健勝、心からご祈念申し上げます。

 

 

~本日の予定~

①富山丸戦歿者遺族会慰霊祭 午前11時20分~

②第五十五回稽古日 6月23日 10時~15時(江戸宗禮先生) 

 

~明日の予定~

①特にありません

  

~明後日の予定~

①橿原市遺族会正式参拝 午後3時~

コメントをどうぞ

« »