末吉、正式参拝を記す
カテゴリー: 護國日誌
2013年6月26日 水曜日

愛媛縣護國神社裏千家流茶道教室

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(詳しくはコチラをクリック)

第五十六回稽古日 7月13日 13時~17時(森光宗芳先生)

第五十七回稽古日 7月14日 10時~15時(江戸宗禮先生) 

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こんにちは。

人生楽笑(じんせいらくしょう)末吉(すえきち)です(⌒▽⌒)

 

昨日15時から

『奈良県橿原市遺族会正式参拝』が執り行われ、

169名のご遺族様にご参拝頂きました。

言わずと知れた

橿原神宮のおひざ元であり、

日本の名勝である畝傍山があります。

ちなみに、

自由民主党高市早苗政調会長(畝傍高校卒)の出身地。

 

視野をひろげ、

奈良県全体で見てみると、

石上神宮、春日大社をはじめとるす国宝建造物、

法隆寺、古都奈良の文化財、紀伊山地の霊場と参詣道の世界遺産など、

とにかく文化財がすごい!

奈良県出身の人物も挙げればきりがありませんが、

そんな中、

当県と縁の深い人物がいらっしゃいました。

 

司馬遼太郎であります。

数年前、NHKドラマ坂の上の雲でも有名な作家さん。

モデルとなったのは、当県ご出身秋山好古、真之兄弟、正岡子規の三氏で、

その活躍を描いた小説が一世を風靡したところは記憶に新しいところです。

また、

真珠湾攻撃で『トラ・トラ・トラ』を打電した淵田美津雄大佐。

詳細はコチラを参照してください

   ↓    ↓   ↓

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B7%B5%E7%94%B0%E7%BE%8E%E6%B4%A5%E9%9B%84

なぜ淵田大佐と縁が深いかといいますと、

淵田大佐は真珠湾攻撃の空中指揮官、

一方海中からは特殊潜航艇の湾内攻撃、散華された九軍神は愛媛県で訓練されました。

また、

海軍兵学校五十二期の同期生には

後の紫電改で有名な三四三空こと、松山航空隊司令になられる親友の源田実大佐がいらっしゃいます。

 

そのようなことをお話しつつ、

全員で玉串を奉奠して頂きました。

お代表は、

橿原市遺族会長 畝傍南支部長 中井靖教様(なかいやすのり)

同副会長 畝傍北支部長 竹村福松様(たけむらふくまつ)

鴨公支部長 杉本肥三様(すぎもととしみつ)

金橋支部長 杉森 滋様(すぎもりしげる)

今井支部長 大西 武様(おおにしたけし)

香久山支部長 米虫一起様(こめむしかずおき)

耳成北支部長 今澤克彦様(いまざわかつひこ)

耳成南支部長 上田 勝様(うえだまさる)

新沢支部長 弓場 武様(ゆばたけし)

真菅支部長 辻本太蔵様(つじもとたいぞう)

八木支部長 松山輝夫様(まつやまてるお)

以上の各支部長様11名であります。

そののち、 

小川宮司の挨拶の後、

額田禰宜が由緒の説明を致しました。

 

英霊のことを想えば、

皇国のため戦場で戦われた戦友のご遺族がご参拝下さったことは、

我がお身内が参拝されたのと同じように思われているのではないでしょうか?

そう思うと、

万感交々胸に迫ります。

 

橿原市遺族会の皆様方、

本日のご参拝、本当に有難うございました。

皆様方の今後益々のご健勝を、

遠く愛媛の地より、

英霊のおそばでご祈念申し上げております。

 

 

~本日の予定~

①会議など、いろいろありますw

 

~明日の予定~

①いろいろあります

   

~明後日の予定~

①野村町遺族会渓筋支部慰霊祭 午前10時30分~

コメント / トラックバック2件

  1. S より:

    淵田さんの地元の方のご参拝。
    これはまた、淵田さんの海軍兵学校52期の同級生で
    、昭和19年10月25日比島マバラカットで神風特攻隊
    の魁となった関大尉(西条市出身階級は当時)を、見送った
    玉井浅一中佐(階級は当時 松山中学から海兵)の地元松山へのお越しでもあると思います。
    私自身深い感慨を覚えます。仏僧として生涯を終えられた
    玉井さんやそのご遺族も心から喜んで
    おられると思います。

    淵田さんは戦後はキリスト教、玉井さんは戦後は仏教と宗教の
    道を生きられますが、お二人とも国難に際し第一線で戦った勇士にちがいありません。

    尚、平成19年に講談社から『真珠湾攻撃隊長の回想ー淵田美津雄自叙伝』(1,900円)が刊行されています。未公開資料など淵田さんの生涯や真情が綴られています。
    皆様もぜひお読み下さい。

  2. 末吉 より:

    S様
     
    こんにちは。
    大変ご無沙汰しておりますがお変わりありませんか?
     
    ご参拝頂いた橿原市遺族会のある方が、
    『淵田さんは自宅の近くに住んでいたんです。本も読んだんですが、最後はキリスト教徒になられ云々』
    というお話を致しました。
    『お二人とも国難に際し第一線で戦った勇士にちがいありません』
    同じことを末吉もお話致しました。
     
    英霊のことはもとより、
    日本のため力を注がれた方々がたくさんいらっしゃったことを知って頂きたく思います。
     
    『真珠湾攻撃隊長の回想ー淵田美津雄自叙伝』
    早速、探してみます。
    コメント有難うございました。

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