末吉、記事を見て記す
カテゴリー: 護國日誌
2013年7月16日 火曜日

愛媛縣護國神社裏千家流茶道教室

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(詳しくはコチラをクリック)

第五十八回稽古日 7月27日 13時~17時(森光宗芳先生)

第五十九回稽古日 7月28日 10時~15時(江戸宗禮先生) 

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こんにちは。

人生楽笑(じんせいらくしょう)末吉(すえきち)です(⌒▽⌒)

 

ふと気が付くと、

セミの元気な声が聞こえています。

夏ですねぇ~(⌒▽⌒)

な~んて、

呑気なことをいってる場合じゃありませんねw

連日の酷暑で熱中症者が続出しているようです。

しかも、屋内にいても熱中症になるというから、

本当に気を付けなければなりませんw

みなさん、本当に体調管理には気を付けてくださいね。

 

さて、

6月20日の護國日誌(http://www.gokoku.org/topics/?p=6549)に、

地域の慰霊祭のことを取り上げました。

そのときに、

山口県岩国市に属する柱島で

戦艦陸奥七十年慰霊祭が執り行われている旨もご紹介いたしましたが、

その記事が7月8日付神社新報に掲載されていました。

(末吉、ある方にお知らせ頂いてしったのですがw)

『英霊の遺志を後世に』と題した記事には、

陸奥遺族会大野忠彦代表ほか百二十名の参列があったことや、

地元の神職さん斎主のもと祭典奉仕がとりおこなわれたこと、

地元中学生生徒による巫女舞の奉納があったこと。

 

また、

柱島泊地と呼ばれ、大日本帝国海軍連合艦隊の艦艇停泊地であったこの島では、戦艦陸奥の五十年祭を機に慰霊祭が中断されていたそうですが、

今回斎行することになったきっかけが、

山口県神社庁岩国支部教化委員がこの島を訪ね、

地元の婦人部が中心となって『英霊之墓』を大切に守り続けていることを知り、

『英霊之墓が柱島にあることをより多くの市民に伝え、犠牲者の御霊を忘れることなく後世に語り継ぐ』との思いからだそうです。

(記事から一部抜粋)

 

殊大東亜戦においては、

多くの方々が散華されられました。

しかし、

時代がかわり、世代が変わると、

それは歴史として認識されるのみで、

慰霊や顕彰、感謝することが置き去りとなって、

やがて消えてしまうのです。

 

地域の慰霊祭の斎行が困難になっている昨今、

なぜそこに慰霊碑があり、

なぜそこで慰霊祭が斎行されるのか、

我々戦後世代、戦争を知らない世代だからこそ、

っかり考えなければなりません。

 

今日も各地で慰霊碑をお守り下さっている方々に、

心から感謝申し上げます。

 

 

~本日の予定~

①特にありません

 

~明日の予定~

①末吉、お休みです

  

~明後日の予定~

①ニューギニア慰霊巡拝者正式参拝 午後2時10分~

②末吉、お休みですw

コメント / トラックバック2件

  1. S より:

    戦艦陸奥の周防大島町の慰霊碑と
    慰霊祭は、引揚げられた砲など一部も
    展示され、また記念館もあり少しは知られて
    います。ところが柱島慰霊祭は全くといって
    いいほど知られていません。

    今回ここでの慰霊祭を復活された神社庁岩国支部の
    皆様に心から敬意と感謝をささげます。
    一度途絶えた慰霊祭を復活するのは大変だと聞いたことが
    あります。地道なご尽力ご努力素晴らしいと思います。

  2. 末吉 より:

    S様
     
    こんにちは。
    毎日暑い日が続いておりますがお変わりありませんか?
     
    記念館や顕彰館などの施設を作っているところは、
    節目に何某かの祭典、追悼式典があります。
    しかし、
    慰霊碑や慰霊塔においては、
    地域の努力なくしては式典はありえないことであります。
    ましてや一度消えてしまったものを復活させることは皆無に近いと・・・
     
    そんな中で、
    いろいろな方のご尽力により、
    斎行されたことはこの上ないことであります。
     
    愛媛県でも過疎率の高いところや、
    街の中心などでは、
    だんだん慰霊祭が消えてきております。
    この記事のように、
    過去の歴史を次世代に伝えることができるよう、
    末吉たちも努力していかなければなりませんw

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