≪裏≫末吉、尖閣映像に叫ぶ
カテゴリー: 護國日誌
2010年11月5日 金曜日 5件のコメント »

おはようございます、末吉です( ̄皿 ̄)うしししし♪

 

相変わらず、

政界はネタが尽きないですねぇ~♪

 

ついに、

『尖閣諸島衝突映像』

が、動画サイトに流出しました!!

(アップした人、よくがんばったヾ(@^▽^@)ノ)

 

いつか、誰かがするだとうという

予測はついてましたが、

こんなに早くアップされるとは・・・

末吉も、予想外でしたよ。。。

 

 

11月1日に衆参両院の予算委員会理事に限定公開されたのは、

わずか6分程度のごく一部、

しかも、凝縮されたものだったそうですが、

今回流出した映像は、

 

∑( ̄□ ̄)ナント!!

 

フルスペック!!!

しかもノーカット映像、、、

6分割のおまけつき。。。

(ここだけ読むと、少しエッチな感じが…ボソ( ̄o ̄))

 

 

いろいろな方から

『公開してますよ~♪』

と連絡をいただいたのですが、、

見ようとしたのが遅すぎて、

すでに、動画サイトでは削除された後でした( ┰_┰) シクシク

 

 

国民の生活を脅かすような重大事項であり、

今の国民最大の関心事である、

この尖閣問題。

そして、尖閣映像。

 

支那への配慮だかなんだか知らないけど、

そんなに支那がいいなら、

あっちに行ってほしいものですね。。。

 

 

いつの世も、

隠し事は、

いつかバレます。。。

日本人としての常識が欠落している人たちには

わからないでしょうけどね。。。

末吉、文化の日に思う
カテゴリー: 護國日誌
2010年11月3日 水曜日 コメントはまだありません »

こんばんは、末吉です(p。-)ゴシゴシ

 

今日は文化の日。

 

 

文化の日???

 

一体どんな日なのか、皆さんご存知ですか?

 

ウィキペディアによりますとですなぁ、、、

 

文化の日

  ①自由と平和を愛し、文化をすすめる。

  ②1946年に日本国憲法が公布された日であり、日本国憲法が平和と文化を重視しているということで、1948年、公布、施行の祝日法で「文化の日」に定められた。日本国憲法は半年後の1947年5月3日に施行された。

  ③皇居では文化勲章の授与式が行われる

  ④明治天皇の誕生日であり、明治節という祝日だった

  ⑤この日は晴天になる確立が高く『晴れの特異日』として有名

 

 

と、こんなにたくさんのことがあるわけです。。。

 

末吉は、ドキドキしながらこの日を待ってたんですが・・・

(・_・o)ン? (o・_・)ン? (o・_・o)ン?

 

当然、叙勲でしょ~(@⌒ο⌒@)b

  

携帯電話を懐に忍ばせて、

一生懸命、ご奉仕したのですが、

電話一本ありませんでしたwww

 

な~んにも、日本の文化のために貢献してないから、当然ですけどねぇwww

 

 

というわけで、

ショックのため、

明日はお休みします( ┰_┰) シクシク

末吉、神宮大麻・暦頒布始祭に思う
カテゴリー: 護國日誌
2010年11月2日 火曜日 4件のコメント »

こんにちは、末吉です(⌒▽⌒)

 

本日、

『愛媛県神社庁松山支部神宮大麻・暦頒布始祭』

が、当社、東参列殿で斎行されました。

 

『神宮大麻』

とは、伊勢の神宮の御祭神であります、

『天照大御神様』(氏神様の総氏神様)

の御札で、

全国各家の神棚にお祀りします。

 

 

愛媛県神社庁の頒布始祭を経て、

県内各支部で頒布始祭が斎行されるんです。

 

 

午後2時からの頒布始祭には、

愛媛県神社庁松山支部 小川純生支部長様(当社宮司)をはじめ、

愛媛県神社庁 十亀興美庁長様(石鎚神社宮司)、

愛媛県松山支部神社総代会 高橋滋幸会長様、

支部管内の神職様がご参列されました。

 

 

祭典の後、

小川支部長の挨拶があり、

優良頒布支部として、

表彰の栄に浴したことを述べられました。。。

 

これから、各神社様によりまして、

各家に神宮大麻が届くことと思いますが、

お祀りする際、

ちゃんとお祭りを経ていることを

思い出してくださいね。。。

末吉、第789回献花祭に思う
カテゴリー: 護國日誌
2010年11月1日 月曜日 2件のコメント »

こんにちは、末吉です(⌒▽⌒)

 

いよいよ11月、霜月となりましたね。。。

 

当社の恒例祭であります、

『第789回 献花祭』

が斎行されました。

 

本日のご奉仕は、、、

神園流(みそのりゅう)

 

 淺野光枝氏

 

 

 

 冨永和子氏

 

 

さて、、、

これも恒例になりましたが、、、

 

本日のお花ははんでしょう~か???

 

さぁ、みんなで、かんがえよぅ~ヾ(@^▽^@)ノ

(どっかで聞いたフレーズwww)

 

 

正解VTR、どうぞ!!!

 

って、VTRはなかったですm(_ _)m

 

正解は、

 ①ミツマタ

 ②キク

 ③ツバキ

でした。。。

 

 

末吉、毎回思うのですが、

これだけのお花で

このような芸術が生まれるのかと、

ものすごく感動します。。。

 

そこが、

『華道』

なんでしょうけどwww

 

 

 

 

小川宮司の祝詞奏上の後、

お話があったのですが、、、

よくよく考えれば、

今年もあと、

丸2ヶ月。。。

 

皆様、くれぐれも風邪などひかないように

気をつけて下さいね。

 

さぁ、今月も、張り切って、

がんばりましょう!!!

 

ご奉仕下さった皆様方、

本日のご奉仕、有難う御座いましたm(_ _)m

末吉、また居留守に思う
カテゴリー: 護國日誌
2010年10月31日 日曜日 2件のコメント »

こんにちは、末吉です(⌒▽⌒)

 

せっかく、週末というのに、

雨が降ってますねぇwww

とはいえ、末吉はご奉仕してますので・・・。。。

 

今日は、朝からドタバタしてますwww

まぁ、いつものことですが・・・。

 

ところで、10月ももう最後。

早いですねぇwww

 

というわけで、

明日の準備のため、、、

居留守つかっちゃいま~す(⌒∇⌒)ノ””

 

 

御用の方は・・・

 

 

明日以降にコメントしてください(⌒▽⌒)アハハ!

末吉、教育勅語に思う
カテゴリー: 護國日誌
2010年10月30日 土曜日 4件のコメント »

こんにちは、末吉です(⌒▽⌒)

 

明治23年の本日、

畏くも明治天皇より

『教育勅語』の下賜がありました。

 

つまり、

教育勅語渙発120年

という記念すべき日ということですね。

 

みなさんはこの

『教育勅語』

ちゃんと暗唱できますか???

(末吉は・・・・できませんが…ボソ( ̄o ̄))

 

 

全文です

 

 

 教 育 ニ 關 ス ル 勅 語

朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト
深厚ナリ我カ臣民克ク忠ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世々厥ノ
美を濟セルハ此レ我國體の精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ
存ス爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉
己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ
徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重ジ國法ニ
遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ
是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ
遺風ヲ顯彰スルニ足ラン斯ノ道ハ實ニ我ガ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ
子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ
施シテ悖ラス朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ咸其徳ヲ一ニセンコトヲ
庶幾フ

明治二十三年十月三十日

    御 名   御 璽

 

 

 

末吉にはちょっと難しいです( ┰_┰) シクシク

 

 

末吉と同じような方々のため、

わかりやすいのがありましたよヾ(@^▽^@)ノ

 

 

私は、私達の祖先が、遠大な理想のもとに、道義国家の実現をめざして、日本の国をはじめになったものとしんじます。そして、国民は忠孝両全の道を完うして、全国民が心を合わせて努力した結果、今日に至るまで、美事な成果をあげて参りましたことは、もとより日本のすぐれた国柄の賜物といわねばなりませんが、私は、教育の根本もまた道義立国の達成にあると信じます。
 国民の皆さんは、子は親に孝養をつくし、兄弟、姉妹はたがいに力を合わせて助け合い、夫婦は仲むづまじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じ合いそして、自分の言動をつつしみ、すべての人々に愛の手をさしのべ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格をみがき、さらに進んで、社会公共のために貢献し、また法律や、秩序を守ることは勿論のこと、非常事態の発生の場合は、真心をささげて、国の平和と、安全に奉仕になければなりません。そして、これらのことは、善良な国民としての当然のつとめであるばかりでなく、また、私達の祖先が、今日まで身をもって示し残された伝統的美風を、更にいっそう明らかにすることでもあります。
 このような国民の歩むべき道は、祖先の教訓として、私達子孫の守らなければならないところであると共に、このおしえは、昔も今も変らぬ正しい道であり、また日本ばかりでなく、外国で行っても、まちがいのない道でありますから、私もまた国民の皆さんとともに、父祖の教えを胸に抱いて、立派な日本人となるように、心から念願するものであります。

 

 

いかがでしょう?

 

わかりましたか?

 

 

年配の方々にとっては、

ごく当たり前のことだと思いますが、

 

若い方々にとっては、

(・_・o)ン? (o・_・)ン? (o・_・o)ン?

と思うのではないでしょうか?

 

現代のような

世知辛い世の中、

改めて

日本国民としての意識の向上につとめなければ。。。

 

 

いかにこの『教育勅語』が大切か、

改めて思う末吉でした。。。

末吉、慌てて思う
カテゴリー: 護國日誌
2010年10月28日 木曜日 コメントはまだありません »

こんばんは、末吉です(⌒▽⌒)

 

今、カラダがピキピキいってます( ┰_┰) シクシク

 

今日は、

七五三→お正月

のための、境内駐車場の整備を兼ねて、

ロープ張りをしましたwww

 

『末吉工務店』

ですね(⌒▽⌒)アハハ!

 

朝から、

準備→作業→サボリ→疲れる→帰宅→昼寝→更新忘れて慌てる

という、一連の流れを経て、

記事を書いてます・・・

∑( ̄□ ̄)ヤバイ!!!

1時間ないぃ!!!!

 

っというわけで、

明日はお休みなので、

更新は明後日・・・

 

カラダがピキピキしてなければ・・・ですがwww

 

 

そうそう、

『末吉工務店』

ですが、

当社専属、元請けオンリーの業者ですので、

悪しからずo(*^▽^*)o あはっ♪

 

 

ってことは・・

末吉は社長ヾ(@^▽^@)ノ

 

 

兼、社員www

末吉、レイテに思う(3)
カテゴリー: 護國日誌
2010年10月27日 水曜日 4件のコメント »

こんにちは、末吉です(⌒▽⌒)

 

今日は、、お手伝いで別のお社に来ています。。。

PCはモバイル用のデータカードがありますので、

電波が届くところならどこでも更新できます。。。

(ただ・・・使い放題とはいえ、ちょっと高いかもwww)

 

 

<続きです>

『特攻は統帥の外道である』

そう言いながら、命令を下さざるをえなかった大西閣下。

最近の記録を見ると、

8000柱を越える方々があらゆる特攻に出られました。

 

特攻は、

航空機特攻(零戦特攻や人間ロケット桜花など)

洋上特攻(ベニヤボート震洋など)

水中特攻(特殊潜航艇海竜、潜水器を身に纏う伏竜、人間魚雷回天など)

などなど、関中佐の公式特攻以後、ありとあらゆる特攻が戦場で用いられました。

 

 

終戦に近づくにつれ、

豫科練や少年兵(海軍予科練習生、陸軍少年航空兵の略・・・だったと思う)

が出撃することが多くなり、

純真無垢な少年たちが戦場へと散っていったのです。

年齢で言うと、、、

13、14歳くらい。

今の中学生です。

 

何度も繰り返しますが、

『特攻は統帥の外道である』

大西閣下が言われたことがわかる気がします。

 

 

当初、

関中佐の御母堂様である、

関 サカエ氏は、

『軍神の母』

と言われていましたが、、、

戦後、周囲の態度は180度激変し、

『お前の息子が先に逝ったけぇ、うちらの息子も続かないかんかったんじゃ!』

などと、罵声をあびせられ、石を投げられ、

まともな生活ができなかったそうです。

昭和28年に没するまで『草もち』を売って生計を立てていたそうです。

それは偏に、

『せめて・・・行男の墓を・・・』

  

その翌年の昭和29年、

関中佐の墓が建立されました。。。

しかし、御母堂様は墓前に立つことなく、

関中佐のもとへと旅立たれた後のことです。

 

レイテ沖海戦では、多くの将兵が散華されました。

そして、さらに多くの将兵がそれに続きました。

 

昭和20年8月15日、終戦の日。

大西閣下は、玉音放送を聞き終えると、

東京の自宅で割腹をするのです。

部下がたすけようとするも、それを制止し、

10数時間、もだえ苦しみ、

壮絶な死を遂げられました。

 

その遺書は、

現代の我々に対しての叫びにも聞こえます。

 

『特攻の英霊に申す

 善く戦ひたり深謝す

 最後の勝利を信じつつ肉弾として散華せり

 然れ共其の信念は遂に達成し得ざるに倒れり

 吾死を以て旧部下の英霊と其の遺族に謝せんとす

 次に一般青少年に告ぐ

 我が死にして軽挙は利敵行為なるを思い

 聖旨に副ひ奉り自重忍苦するの誠ともならば幸なり

 隠忍することも日本人たるの矜持を失う勿れ

 諸子は国の宝なり

 平時に処し猶克特攻精神を堅持し

 日本民族の福祉と世界人類の為

 最善を尽せよ』

 

 

関中佐の命日。

後世にわたり、その武勲を讃え、

現代の目覚しい発展の先駆けとなられた御霊に対し、

安らかならんことを祈りつつ、

同県である誇りを胸に、

まだ見ぬレイテに複雑な思いを馳せる、、末吉でした。

末吉、レイテに思う(2)
カテゴリー: 護國日誌
2010年10月26日 火曜日 2件のコメント »

こんにちは、末吉です(⌒▽⌒)

 

テレビでインスタントコーヒーが美味しく飲めるサーバーを購入しました。

連日、飲みすぎで、ちょっと胃が・・・

 

 

<続きです>

大西閣下の命を受け、出撃された関中佐。

出撃当時、23歳。。。

ご母堂様と奥様との3人家族だったそうです。

ご家族の話は機会があれば・・・ということに。。。

 

当社にご参拝された方が関中佐と同郷で、

出撃前の休暇で帰郷された様子を語って下さいました。

 

『関さんはなぁ、、ワシが所用で駅のホームでおったら、

 丁度休暇で帰ってきたとこらしくてな、、、

 一言挨拶して、そのまま家に向かってったよ。

 最後に関さんを見たんは、お伊曾乃さん(伊曾乃神社)の前を通った時でな、

 夕暮れにたった一人でお参りしとった。

 なんや、長いこと手を合わせてなぁ・・・

 もう、戻って来れん事を感じとったんかもしれん。

 なんせ、小学校ではワシが先輩、関さんは後輩やったけぇ、

 関さんのことはよぅ知っとるんよ。。。』

 

∑( ̄□ ̄)ナント!!

実はこの方、関中佐の同郷どころか、先輩でした。。。

 

さて、戦況は悪化の一途をたどりつつある、昭和19年、

フィリピン沖では米連合軍が、

『I shall return 』

という言葉を残し撤退した、

ダグラス・マッカーサーの言葉通り、

フィリピン奪還にむけ、作戦を遂行していました。

 

『1週間でいいから、敵空母の甲板を使えないようにできないか?』

海軍の期待を一身に背負った大西閣下が、

フィリピンのマバラカット基地へ到着した時、そう言われたそうです。

当時、制空権は圧倒的物量により、米連合軍にありました。

そこで、空母を一時使用不可能な状態にし、

連合艦隊が米海軍を壊滅させるという作戦だったです。

余談ですが、このとき、彼の有名な『戦艦大和』『戦艦武蔵』も出撃しており、

戦艦武蔵は、19年10月24日に激戦の末沈没しました。

 

このレイテ沖海戦は、

我が大日本帝國海軍の主力艦隊を始め、ほぼ総力をあげての戦いだったのですが、

この戦いで、事実上壊滅状態となってしまいます。

 

ただ、唯一の戦果を挙げたのが、このときに始まった、

『零戦特攻』

だったのです。

250キロ爆弾を搭載した特攻機(関中佐は零戦)で、

上空から降下し、水面に平行して超低空飛行で、

敵艦の真横から突っ込む。。。

 

現代から考えれば、非人道的な作戦です。

それは、当時の大西閣下も予言しておられました。

当初から

『特攻は統帥の外道である』

とまで言い切り、最後まで海軍に意見したのですが、

結局、それも受け入れられず、その責任の全てを一人が受ける形となってしまったのです。

 

「わが声価は棺を覆うて定まらず。 百年の後、また知己なからんとす。」

当時の部下にそう言った通り、

現在でも、大西閣下の立場は賛否分かれるところです。

末吉、レイテに思う(1)
カテゴリー: 護國日誌
2010年10月25日 月曜日 4件のコメント »

こんにちは、末吉です(⌒▽⌒)

 

昭和19年10月25日

西条市大町御出身

海軍中佐 関 行男命(没後2階級特進当時大尉)の御命日です。

勿論、当社でも御祭神としてお祀りしております。

(写真は終戦60年、楢本神社慰霊祭)

この方は、

日本で初めて公式特攻をおこなった、

敷島隊の隊長でした。。。

ですので、

慰霊碑まわりには、

同時に特攻された敷島隊の方々のお名前が刻んである、

250キロ爆弾の形をした碑があるんです。。。

 

 

 

ただ、関中佐をお話しする前に、、、

大西滝治郎海軍中将をお話しするのが順序でしょう。。。

 

 

大西閣下は、

兵庫県の生まれで、

かの真珠湾攻撃の作案者でもあります。

海戦当時、連合艦隊司令長官であった、山本五十六元帥の右腕としてその智将ぶりを発揮されていました。

 

『特攻の父』『特攻の生みの親』ともいわれる由縁は、

このレイテ沖海戦(昭和19年10月20日)で最初に公式特攻をしたときの、

第一航空艦隊司令長官だったからです

 

昭和19年10月20日午前1時頃、

隊長に、関大尉(当時)が選ばれました。

そして、関大尉の、

『それに相応しい呼称をお願いしたい』

という具申に、

これは、特別な攻撃であり、

戦局に神風が吹くようにとの意をこめ、

『神風特別攻撃隊』

と決定されたそうです。

 

隊名も、、

本居宣長の八州八島を詠った、

『敷島の大和こころを人とはば 朝日ににおう山桜花』

これにちなみ、

『敷島隊』『大和隊』『朝日隊』『山桜隊』

と名付けられました。

 

午前10時、

隊長関大尉を右先頭として、24名の隊員が並び、

大西閣下から訓示を受けました。

全文が次です。

 

『日本は正に危機である。

 しかも、この危機を救い得るものは、

 大臣でも大将でも軍令部総長でもない。

 もちろん自分のような長官でもない。

 それは諸子の如き純真にして気力に満ちた若い人びとのみである。

 従って自分は一億国民に代わり、皆にお願いする。

 どうか、成功を祈る。

 皆は、すでに神である。

 神であるから欲望はないであろう、が、

 もしあるとすれば、それは自分の体当たりが、

 無駄ではなかったか、どうか、それを知りたいことであろう。

 しかし皆は永い眠りに就くのであるから、

 残念ながらしることも出来ないし、知らせることも出来ない。

 だが、自分はこれを見届けて必ず上聞に達するようにするから、

 そこは、安心して行ってくれ・・・しっかり頼む』

 

この訓示のあと、閣下は隊員一人一人と熱い握手を交わしたそうです。。。

 

 

当初、閣下はこの4隊24名のみの特攻隊と考えていました。

しかしその偉功により、特攻は終戦まで続きました。

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