末吉、ミャンマー思い出の会正式参拝を語る
カテゴリー: 護國日誌
2011年10月19日 水曜日

『元気な日本をとりもどそう!』

 

 

こんにちは、

『人生楽笑』末吉です(⌒▽⌒)

 

一昨日の10月7日、

全国から集られた遺族、遺児の方々が来県され、

『ミャンマー思い出の会』正式参拝がありました。

ミャンマーで散華されたご遺族の方々13名に

御神前にてご拝礼いただいたのですが、

代表の上坂都喜子様曰く、

 

『ミャンマーという言い方はあまりしっくりこないですね、

 私たちにとっては、いつまでたってもビルマなんですから・・・』

 

英霊となられた方々のことを想い出されたのでしょう、

少し悲しそうに・・・おっしゃられたのが印象的でした。

参拝が終わり、

皆さんで記念撮影を一枚!

 

そのあと、愛媛の方もいらっしゃいましたので、

しばし昔話をお聞かせ頂きました。

 

その後の予定をお聞きしますと、

県内観光に行かれるそうなのですが、

おそらく、終始ビルマでの英霊のお話しをされたことでしょう。

 

本日のご参拝、

英霊もさぞお喜びになられたことでしょう。

ご来社、有難う御座いました。

 

予断ですが、

遠くは、奈良や岐阜から、

しかも、車で来県されたのには、

末吉、頭が下がりました。

 

 

~今日の予定~

 ①西予市野村町貝吹遺族会慰霊祭 午前10時~

 ②靖國神社秋季例大祭第二日祭

  

~明日の予定~

 ①松山支部役員会

 ②靖國神社秋季例大祭第三日祭

   

~明後日の予定~

 ①七五三準備

コメント / トラックバック2件

  1. 匿名 より:

    ビルマ戦のご遺族が全国から来られたのですか。
    ぜひお話しを聞きたかったですね。

    ビルマでは、愛媛県人も多く亡くなっています。
    石手寺には資料館みたいなものもありますが、
    たまに行っても訪れる人は余りいないようですが・・・?

    でも、以下の文献は貴重です。今は古書店くらいにしか
    ないと思いますが。関心のある方はぜひ図書館で借りて読んで
    みて下さい。愛媛県人のなくなった方
    々のお名前、また戦後の現地での慰霊祭の模様、旧軍人や
    ご遺族の声、それに関連資料等等、関連資料が殆ど網羅されています。

    また、『22連隊始末記』を書いた元愛媛新聞記者の
    客野澄博氏が大変素晴らしい文章を書いています。

    『ああビルマ』
    愛媛県ビルマ会記念誌編集委員会〔編〕 出版者: 愛媛県ビルマ会事務局 出版年月日: 昭和55年3月刊行

  2. 末吉 より:

    匿名様
     
    こんにちは、
    コメントありがとうございます。
    投稿担当の末吉と申します。
    宜しくお願い致します。
     
    ビルマでは多くの方々が散華され、
    殊、インパール作戦においては、
    涙なくしては語れない戦場の実情がありますね。
    末吉、
    佐藤幸徳、宮崎繁三郎両閣下のことを思うとき、
    日本人でよかったとつくづく感じます。
     
    おっしゃられているのは、
    石手寺のパゴタでしょう、
    末吉も以前にお参りしたことがあります。
     
    愛媛ビルマ会の方々が毎月ご奉仕されていると、
    お話しに聞いておりますが、
    宗教は違えど、安らかにお鎮まり頂きたいと、
    只管願うだけであります。
     
    『ああビルマ』
    末吉はまだ読んだことがありませんので、
    機会があれば、是非一読致したく思います。
    ご紹介有難う御座いました。
     
    末吉は、
    岡山県御出身の、
    小田敦巳さんという方が書かれた、
    『一兵士の戦争体験』
    という本を何度も読みました。
    なぜかこの本だけは繰り返し読んでおります。
    もし機会があれば読んで見て下さいね。
     
    寒暖の差が激しさを増す昨今ですので、
    呉々も御身御自愛ください。
    またのコメントお待ちしております。

コメントをどうぞ

« »