末吉、入道雲に思う
カテゴリー: 護國日誌
2010年7月24日 土曜日

こんにちは、末吉です(⌒▽⌒)

少しでも涼しく感じるかと思い、文字色を青色にしてみましたヾ(@^▽^@)ノ

『空の青さも濃さを増し

その向こうから

入道雲が

モコモコと音をたてて

沸いているように見えます

な~んて、国語の教科書風に書いてみましたが、

『暑い』

という、現実から逃避することはできませんwww

 

 

 

さて、まもなく7月26を迎えます(まぁ、当たり前ですが・・・)

 

この日のことは、

愛媛県民、殊松山市民であれば、絶対に忘れてはいけません!

 

そう、

昭和20年7月26日、松山大空襲の日。

死者、行方不明者259名、負傷者多数、松山の50%以上が焼失しました。

当社の御社殿も焼失し、現在の御社殿が竣工するのは10年以上後のことになります。

 

 

『あの、雲の峰の向こうに、見たこともない島が浮いてるんだ・・・』

これは宮崎アニメ『天空の城ラピュタ』の一場面のセリフです。

戦時中も、雲の向こうで一体何が起こっているのか、

戦況がどうなっているのか、

一般国民は知る由もなかったでしょう。

 

昭和20年になると、全国各地で米軍の空襲が相次ぎました。

 

 

 (暑いので、ひとやすみ~・・・明日へつづく・・・( ゜Д゜)y─┛~~ フーッ!) 

コメント / トラックバック2件

  1. 田舎の火消し より:

    先の大戦で、祖父母と母は大変な苦労をしたと聞きました。
    特に祖父は、三井船舶の軍属として南方からの帰還途中に佐世保沖で魚雷攻撃と空爆を受け、近くにいた「さざなみ」という駆逐艦に助けられたそうです。そのときに駆逐艦まで導いてくれたのが自宅近くに祀られている塩釜大神だったそうです。見るからに仙人のようなお姿だったと言ってました。有難い話です。

  2. 末吉 より:

    田舎の火消し様

    ∑( ̄□ ̄)ナント!!
    それは貴重なお話をお聞きになられましたね。
    戦争を体験された方々は、想像もつかないような壮絶なことも、サラッっと話すところがすごいです。。。
     
    当時の日本軍は、漂流者(無抵抗者)がいれば、静観若しくは救助活動をしたそうですが、米軍はそういった人たちにも容赦なく攻撃したそうです。
    本当に塩釜大神様のお導きだったのでしょう、、、よくぞ無事で戻られましたね。。。
    どうか、呉々も宜しくお伝え下さい。

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