末吉、居留守を話す
カテゴリー: 護國日誌
2012年6月16日 土曜日

愛媛縣護國神社裏千家流茶道教室

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(詳しくはコチラをクリック)

第七回稽古日 6月23日 13時~17時(森光宗芳先生)

第八回稽古日 6月24日 10時~15時(江戸宗禮先生)

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こんにちは、

人生楽笑(じんせいらくしょう)末吉(すえきち)です(⌒▽⌒)

 

昨日から降り続いた大雨の峠は超えたのか、

いまはポツポツ程度になっている当社です。

梅雨時期ですから、

みなさんも体調管理には十分きをつけ、

食するものにも十分きをつけましょう!

 

さて、

当社では終戦の日の準備が少しずつ進んでおります。

今日も張り切っていってきますね。

 

というわけで、

末吉、本日は居留守です。

 

物申したい方は、

コメント欄もしくはメールにてお願い致します。

 

 

~本日の予定~

①特にありません

 

~明日の予定~

①第750回 献謡祭 午後1時~

   

~明後日の予定~

①末吉、お休みです

コメント / トラックバック2件

  1. S より:

    昭和20年6月17日
    この日は沖縄で愛媛の郷土部隊
    陸軍歩兵第22聯隊が事実上玉砕した日で
    私は愛媛県人にとって決して忘れてはならず
    記憶にしっかり留め語り継いでゆくべきと思ってます。

    信頼性の高い2冊の文献から、

    事実関係のみを記述したものを短い文章ですが、

    以下に紹介し、散華した方々に心から

    追悼と感謝をささげたいと思います。

    ・『戦史叢書 第11巻 沖縄方面陸軍作戦』 
     防衛庁 朝雲出版社 昭和48年

    598ページより

    「十七日夕、歩兵第二十二聯隊本部が眞榮里

    南東七三高地洞窟において爆雷攻撃を受け、

    聯隊長吉田勝大佐(32期(陸士)六月十日大佐進級)

    以下全滅したとの悲報が第二十四師団から

    軍司令部に報告があり、軍司令部は悲痛な気持ちとなった。」

    ・『愛媛県史 近代 下』 愛媛県 昭和63年

    821ページより

    「十七日夕、連隊本部は眞榮里南東

    七三高地鍾乳洞窟において爆雷攻撃を受け、

    連隊長吉田勝大佐以下は全滅した。

    第1・第2大隊も同様に米軍の馬乗り攻撃を受け、

    連隊本部と運命を共にした。

    第3大隊は配属連隊とともに

    与産岳付近に出撃していたが、

    混戦の末全滅の悲運をたどった。

    これら将兵のうちなお戦闘に耐える者は、

    平素の教育に従い、あるいは洞窟に潜伏し、

    あるいは隣接部隊と合流し、局地的抵抗を継続した。

    歩兵第32連隊主力に合流した者は、

    終戦二十日後の九月四日、友軍連絡将校による

    終戦の告知を受け、初めて米軍に収容された。」

  2. 末吉 より:

    S様
     
    おはようございます。
    お久しぶりですが、お変わりございませんか?
     
    今日は絶対コメントを頂けると思っておりました。
    頂いたコメントを読む前に、
    同じような記事を書きましたから、
    その思いも同じなのでしょう。
     
    少し時間を見つけたので、
    謹んで本を読み返してみました。
    宇江減(ウエグスク)にあります山雨の塔。
    このあたりが軍旗奉焼の地であると、
    ある方に御奉納頂いたものに記されています。
     
    知事、市長をはじめ、県民が総意を以て
    遠く沖縄で散華された方々のことを深く理解し、
    毎年慰霊祭が斎行されるようになりますことを
    願わずにはいられません。

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