末吉、松山聯隊玉砕の日に話す
カテゴリー: 護國日誌
2012年6月17日 日曜日

愛媛縣護國神社裏千家流茶道教室

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第七回稽古日 6月23日 13時~17時(森光宗芳先生)

第八回稽古日 6月24日 10時~15時(江戸宗禮先生)

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こんにちは、

人生楽笑(じんせいらくしょう)末吉(すえきち)です(⌒▽⌒)

 

久しぶりの雨は、

恵の雨・・・

というより、

豪雨ともいうべき土砂降りでしたw

境内の梅の実も大粒の雨に打たれ、

ご覧の有様ですw

昨年11月、愛媛県遺族会様とご一緒させて頂いた、

沖縄摩文仁の丘にあります『愛媛之塔』の慰霊祭の後、

移動用のバスに乗った途端の豪雨を思い出しました。

 

今日は松山聯隊が、栄光の軍旗とともに、

事実上玉砕した日。

 

昭和五十三年三月十日発刊の歩兵第二十二聯隊歴史によると、

『六月十四日軍旗は聯隊長の命に依り本田副官軍旗を腹に巻き三キロ後方の師団司令部の壕に護送した。十七日夜真栄里南東七三高地、鍾乳洞陣地に於て優勢なる敵米軍なる敵米軍の猛攻を受け、吉田聯隊長以下第一、第二大隊全滅玉砕せり、第三大隊も混戦状態になった、与産岳で全滅するまで防戦した。』

と記されていました。

境内には、その軍旗奉焼の土を持ち帰りお納めした記念碑があり、

二二聯隊の営門入口にあった石柱、歩哨もあります。

改めて様子を見に行くと、

縁の深い日だけあって感銘深いものがあります。

 

沖縄は愛媛と全く関係ないと思われがちですが、

当時、二千人以上もの方々が沖縄守備隊として玉砕した、

非常に縁の深い場所なのです。

 

いつの日か、

そのことを深く理解し、

心を一つにして、

散華された多くの将兵の方々に想いを馳せつつ、

慰霊顕彰することが

愛媛県民の総意になることを願ってやみません

 

 

~本日の予定~

①第750回 献謡祭 午後1時~

 

~明日の予定~

①末吉、お休みです

    

~明後日の予定~

①特にありません

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