末吉、唯一航空戦艦伊勢を申上げる(3)
カテゴリー: 護國日誌
2014年2月22日 土曜日

こんにちは。

人生楽笑(じんせいらくしょう)末吉(すえきち)です(⌒▽⌒)

  

本日の松山、

朝の冷え込みは相変わらずでしたが、

徐々に暖かくなりつつあります。

絶好の参拝日よりですよ(⌒▽⌒)

 

ではつづきです。

練習艦としかみなされなかった伊勢と日向w

日々、練習に明け暮れていた伊勢に初の出撃命令が届きます。

昭和17年6月5日のミッドウェー海戦です。

 

しかし、

その訓練の最中、事件ですw

昭和17年5月5日、発射訓練中の日向五番砲塔が突然大爆発!

将兵五十名余りが散華されました。

 

すぐに日向は緊急措置として鉄板で塞ぎ二十五ミリ四連装機銃を装備しましたw

どうにか処置をほどこし事実上初陣となるミッドウェー作戦に参加します。

戦果はみなさんご存知の通り、

帝国海軍は空母赤城、加賀、蒼龍、飛龍の四空母を失う結果でありましたw

艦載機も・・・無念であります。

それ以上に、

一度の戦闘で多くの優秀な将兵を失ったことこそが

痛恨の極みであります・・・。

 

失われた空母に変わる艦隊攻撃力を補うため上層部では話し合いがされます。

新たに空母を建造するだけの予算と材料と時間などあるわけもなく、

ありとあらゆる角度から議論がなされ、

最終的に、

建造中の大和型三番艦である信濃を改装、

先の事故で甲板を損傷し鉄板での応急処置だけの日向、

同型の伊勢を航空戦艦に改造することが決定されるのです。

 

ただ、ここで問題発生w

空母ってこんなんでしょ?

艦橋が横にあり、滑走路がびよ~んって。

ちなみに、

これはミッドウェー海戦で失った空母赤城の写真です。

 

で、

もともと戦艦として建造された伊勢と日向は艦橋がど真ん中にあるわけです。

これを大幅に改造するには莫大な費用と時間がかかってしまいますよねw

そこで苦肉の策として、

後ろだけ空母でいいじゃない!

という話でまとまったそうです。

そうして誕生したのが航空戦艦伊勢、日向であります。

 

伊勢は呉、日向は佐世保で改造されることになったのですが、

艦橋があるため、滑走路の問題をクリアしなければなりません。

最終的にどうなったかというと、

発艦=カタパルト

着艦=一緒にいる空母

 

発艦時のカタパルトというのは、

ようはパチンコのゴムのように、

びよ~んって戦闘機を引っ張って

びよ~んって戦闘機を発射するお手伝いシステム。

それの新型を二基装備。

5分ほどで全機発艦できるスグレモノだったそうです。

ちなみに世界最速発艦。

 

着艦時の一緒にいる空母というのは、

同時に出港している空母に着陸しろということ。

でもその空母にも戦闘機がいますよね?

考え方はこうです。

戦闘機が発艦すると戦闘が開始されます。

すると帰還する戦闘機は数が減る、

そこに着艦せよとの考え方。

戦争ってこれが現実なんですよねw

 

対空戦闘能力強化も含め

昭和19年10月に戦線復帰となり、

レイテ沖海戦へと向かったのであります。

(つづく)

 

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愛媛縣護國神社裏千家流茶道教室

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~本日の予定~

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~明日の予定~

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②第770回献謡祭 13時

 

~明後日の予定~

①特にありません

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